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スーダンからの邦人救出作戦

本日午前1時頃(日本時間)、スーダンから退避した日本人ら45人を乗せた航空自衛隊のC-2輸送機がジブチに到着しました。
 
この救出劇は歴史的な偉業であり、任務に当たった隊員らは本当に素晴らしい仕事をしてくれたと思います。
 
日本もようやく、自らの手で自国民を救出できる「まともな国」になったなあと、感慨深いものがありました。
 
というのも、私にはアフリカでの邦人救出というものに特別な思い入れがあるからです。
 
1 東アフリカへの赴任
2000年代前半、外務省に出向した私は、日本から遠く離れた東アフリカの大地に足を踏みしめた。

アフリカ最高峰キリマンジャロ
(Photo by ISSA)

職務のひとつとして、私は、駐在国で緊急事態が発生した時に在留邦人を国外に退避させる計画の立案と整備を担っていました。

現地で出会った日本人は皆、公的サポートが大変限られた発展途上国という過酷な環境にあっても、常に前向きでたくましく、高い志を持ち、互いに助け合いながら生きていて、心から敬愛すべき人たちでした。
 
また、現地日本人学校の運営や安全対策にも関わっていたのですが、先生方や僅か10人の生徒たちは、本当に守るべき存在でした。
 
2005年には、海外在留邦人数は100万人を超え、およそ120人に1人は海外に居住する時代が訪れ、短期渡航者数も増加の一途をたどる中、在留邦人の安全確保が益々重要視されるようになっていました。

海外在留邦人数の推移(外務省)

そのような中、2007年1月に、邦人輸送が自衛隊の副業から本業へと格上げされました。この朗報に接した多くの日本人から、「これからは、何かあったら自衛隊が助けに来てくれますね」と、期待感を持って声をかけられたものでした。
 
しかし、当時の外務省・在外公館の「国外退避計画」と、防衛省・自衛隊による「邦人輸送」の間にはかなりのギャップがあり、その実効性には疑問を感じずにはいられなかったのです。
 
2 邦人救出に係る経緯
そもそも、1985年3月のイラン・イラク戦争では、たとえ自国民を救出するためであっても、自衛隊機を海外に派遣することは許されていませんでした(この時、エルトゥールル号乗員救助の恩返しとして、トルコが救援機を派遣したのは有名な話)。

1997年にカンボジアで武力衝突が発生した時、邦人を救出するために、自衛隊のC-130をタイへと派遣。これが自衛隊に邦人輸送が命じられた初の事例となります。
 
2004年、イラクの自衛隊活動拠点サマワの宿営地そばに迫撃砲弾が落下し、日本人が武装勢力に拉致される事件が発生すると、報道関係者10人をC-130でイラクからクウェートまで輸送。これが自衛隊が行った初の邦人輸送となりました。
 
3 国外退避の共同対処計画
日本の退避計画の実効性に疑問を感じたきっかけは、駐在国で総選挙が実施されたときのことでした。
 
過去の総選挙では、主要都市で反乱分子による暴動等が発生した経緯から、英国大使館が国外退避に備えた「共同対処計画」への参画を呼びかけたのです。

英国大使館(British High Commission)

私は、その一員に加わり、万一の場合は、20か国で力を合わせて民間人の国外退避を支援するという計画の策定に関与しました。
 
結果的に、そのような事態に至ることはありませんでしたが、本計画への参加を通じて米英諸国の情報発信の迅速さと、最終局面では、20か国すべての民間人は米英軍が救助するという計画の寛容さに圧倒されました。
 
それ以来、現地政府や諸外国に依存した国外退避計画のままでは、どうしても日本人の輸送依頼を拒絶される可能性が残されるため、次第に「諸外国のように、最終局面で国軍による邦人救出が担保されていなければ、いくら外務省・在外公館が頑張ってみたところで、国外退避計画は完成し得ない」と考えるようになったのです。
 
4 東アフリカから帰国
帰国後、逆カルチャー・ショックに喘ぎながらも、どうにか本業に復帰しましたが、その後も、度々、アフリカの大地で汗水たらして頑張っていた日本人や、日本人学校の子供たちの屈託のない笑顔が思い出されました。
 
どうにかして後ろ盾が脆弱な彼らの安全を確保したいという強い気持ちを捨て去ることはできず、外務省・在外公館が立案する「国外退避計画」と、防衛省・自衛隊による「邦人輸送」、両輪の歯車を上手く噛み合わせることが、私のライフワークのようになっていったのです。
 
2015年9月の平和安全法制では、邦人輸送の安全をより確実なものとするため、武器を使用しての警護や救出も認められ、その点では大きな前進(注:これは、安倍さんの功績です)だったのですが、それでも未だ弱いと感じていました。
 
5 アフガニスタンでの教訓
そして、記憶にも新しい、2021年8月、タリバンが政権を握ったアフガニスタンから邦人を退避させるため輸送機が派遣されました。
 
しかし、情勢が急激に悪化したため、あと一歩のところで断念。自衛隊機で輸送できた日本人はわずか1人だけで、外国人の輸送に関する自衛隊法の規定が限定的だったため、現地日本大使館のアフガン人職員ら約500人は輸送できなかったのです(これを受け、2022年4月に自衛隊法を改正し、外国人だけの輸送も可能にした)。

BBC.com

6 今回の救出劇
今回、欧米各国の迅速さに比べたら、わずかに出遅れたものの、即応性という観点では劇的に改善されたように思います。

主要各国の救出実施状況(Created by ISSA)
航空万能論GF

 邦人救出作戦の類型
邦人救出作戦は、概ね次のとおり3つのタイプに類型できます。

邦人救出作戦の類型(Created by ISSA)

欧米各国は「Ⅰ 武装強行型」です(同じ敗戦国のドイツさえも)。
 
軍に権限が委ねられているので、在外公館が機能しなくても軍の権限で救助できます(アフリカなど途上国に居る国民からすれば、頼もしい限りだ)。
 
他方、自衛隊は憲法上・法制上の制約もあり、武装強行型という訳にはいきません。
 
8 本質的な問題点は
一番の問題点は、自衛隊は何から何まで「ポジティブ・リスト」で縛られていることにあります。つまり、先ず「何もするな」が大前提で、その上で「あれをしていい」、「これをしていい」と、ひとつひとつ権限を与えていくやり方です。
 
これだと、軍の暴走を食い止められるかもしれませんが、現場は莫大な命令書を抱えて作戦を行うことになり、加えて、書かれていないことは「やっていいですか」と、いちいちお伺いを立てることになります。
 
逆に、世界の常識でもある「ネガティブ・リスト」であれば、「これとこれはやっちゃいけないけど、あとはお前たちに任せる」というやり方になるので、実効性は飛躍的に向上します(そもそも、自衛隊は一切の政治的活動から遠ざけられ、シビリアン・コントロールの下に置かれている訳だし、暴走などするはずがないのだが)。
 
日本を本当の意味で「まともな国」にするためには、憲法を改正してきちんと自衛隊を規定し、法制を「ネガティブ・リスト」に転換させることだと思います(結局、本質的な問題は「戦後レジームからの脱却」にある)。
 
9 その他の問題点
(1) 退避の交渉は誰とすべきか

一方、退避の交渉は、一義的には外交関係のある現政権がその相手なのですが、内戦等の勃発により相手が部分的/全面的に統治能力を失えば、たとえ正当性に欠ける相手(今回の場合「RSF」)であっても交渉しなければなりません。
 
特に、日本型の邦人救出作戦は、外務と防衛の両輪の歯車が嚙み合って初めて成功するのです。
 
(2) 避難経路・手段に対する腹案
スーダン内戦は、ウクライナのように全土にミサイルが飛び交い、戦車が走り回るような戦争ではありません。
 
主として小銃を構えた武装勢力が対峙し、市街地等で銃撃戦が繰り広げられるような戦いが想定されます。

Travel Advice - UK.GOV

上図は英国発の渡航情報ですが、スーダンが真っ赤に塗られているものの、全土が隙間なく危険地帯なのではありません。日本の約5倍もある広範な国土に小銃中心の武装勢力が散在しており、それ以外は、ただ荒涼とした砂漠・サバンナ地帯が広がっているだけで、そこに危険など何もないのです(あるとすれば、野生生物?)。
 
どこが危険地帯なのか。担当官は、こうした地図から、先ず、冷静にそこを見極める必要があります。
 
他方で、アフリカでありがちな怖さは、統制が行き届いていない武装勢力と遭遇し、紛争とは無関係なはずの我々外国人が、彼らの独断で襲撃される恐れがあることです(彼らは、目先の利益で簡単に寝返る)。
 
今回、ハルツームからポート・スーダンまでの1,000kmにも及ぶ陸路を無事にわたり切ったのは、平素のインフラ調査と人脈構築、有志国との関係構築など、名もなき現地担当官らの努力の成果であったのかもしれません。
 
(3) スーダン難民への対応は

今回の内戦では、既に400人以上が死亡、けが人は3,000人以上にのぼり、数百万人が電気や水、食料を奪われている状況です。
 
UNHCRは20日、スーダンから隣国チャドに避難した人が1万~2万人に上ると発表しました。そして、人口の3分の1に当たる1,580万人が人道支援を必要としています。

Refugee influx from Sudan - UNHCR

この先、日本大使館や日系団体・企業等で、長年、日本のために尽くしてくれた現地スタッフを、またアフガンの時のように見捨ててしまうのか。
 
「自国民保護(=自国民を守る責務)」と、「人道支援(=他国民を守る仕事)」は別物ではあるにせよ、G7として、スーダン難民にどう向き合うのかが問われることになると思います。
 
今回、フランスやサウジなどは多くの他国籍者を輸送しましたが、米英は自国民保護のみに徹しているようであり、私が「共同対処計画」への参画を通じて感じた米英の寛容さは失われたように感じています(そういう意味でも、やはりパクス・アメリカーナは終焉したのだろう)。

【参考】ジブチについて
今回の救出劇では、ジブチという自衛隊の海外拠点の存在は大きいと、あらためてそう思いました。
 
海上自衛隊による護衛活動がアデン湾で開始されたのは2009年3月のことですが、2011年7月にジブチに自衛隊の海外拠点が開設され、現在に至っています。

mainichi.jp

また、2019年12月に海上自衛隊の将官を退かれ、2020年9月に駐ジブチ特命全権大使に赴任された大塚海夫氏であったことも成功を後押ししたのではないかと思っています。

この海域は、日本へのエネルギー供給路という点で極めて重要な海域であるとともに、一帯一路政策で影響力拡大を目論む中国をけん制するという戦略上の目的もあるのです。

sankei.com

おわりに
自国民の命を守ることは、国家として至極当たり前の義務であって、今般の救出劇は、関係者が様々な批判に耐えながら信念に持って具体的に取り組み続けた成果だと思います。
 
昨年の安全保障3文書では、ジブチが邦人救出の拠点にもなると再定義されました。
 
自衛隊の海外派遣には慎重を期さなければならないことは当然のことですが、今や日本人の100人に1人は海外に居住しており、国際情勢が不安定化する中、1人でも多くの日本国民を守るためにも、自衛隊は、引き続き、海外拠点を確保して活動を続けていく必要があります。
 
他方で、今回の「45人」であたふたしててはいけません。足元に目を向ければ、台湾には2万人を超える日本人が居住しているという事実も、忘れてはならないと思います。

先日、純国産の水上飛行艇「US-2」をご紹介しましたが、今回の救出作戦では、同じく純国産の「C-2」輸送機が使われたことにも、大変、大きな意味があったと思います。