見出し画像

選択に必ずしも理由は伴わない


消費されている。
社会的な立ち振る舞いをすることでただの頭数になることが嫌で仕方ない。

ひとまず今回紹介する曲はこれ。
伝説と言っても過言ではない54-71の代表曲、Ugly Prayを聴いて、一息ついたらはじめよう。

引き算のかっよこさ。
ギターはストローク以外、フィードバックが鳴る。
ひとつの究極体だと思っている。

本題。
半端はよくないな、と思って席を置いていたところから抜けた。仕事ではない。
サークルや部活みたいなところだ。狭いコミュニティ。
ほとんど参加できていなかった。

こちらから切り出さなくても無視していれば、実質そのコミュニティからいないことになる。
それでも向こうからずっと業務連絡を続けるのは面倒だろうし、その通知を見るのも怠かったので「ここいらでけじめつけさせてもらいましょうかね」と申し出た。
人数合わせで誘われたという認識だったので、何がなんでも絶対参加!意見を述べよ!活動をしろ!といった大層なものでもないんだろうなと思って何の気なしに入った。

そして、思っていたのと違った。
すっごい、あれしようこれしようって求めてくるじゃん。
そら、やめてえよ。思ってたのと違うんだもん。
そして「やめたいです」と伝えたら向こうから「会って話しませんか?」と連絡が来たので、行きたくはない!と思ったが日程調整をした。


「何がつらいの?」
やめるときにそう言われて、え〜?と思った。
この、え〜?は「なんでそんなこと聞くの?」と「なんでそんなこと言わなきゃいけないの?」、「なんでその聞き方するの?」が一挙にまとまった、え〜?である。
せめて「言いたくないなら言わなくてもいいんだけど」はないのか、もあった。

上記の「何がつらいの?」の問いですが、強いて言えば、そういうのが、つらいですねえ。
その、あなたはコミュニティの一員である!という連帯感がしんどいですねえ。

私は自分の考えをまあまあ言語化できるほうなので上記をまるく整えながら話したが、口に出していくうちに気付いた。
あれ?話聞いてなくない?向こうで話の流れと結果を決めてやってるな?と。
だんだん腹が立ってきて「もうこの話やめて帰りません?」と言うのを10分堪えた。
人柄もよくわかっていない他人との10分は長い。

私は接客業も営業職も経験していたので、話を聞くだけなら堪えることができる。
でもこれは売上も発生しなければ利益も出ない、無なのである。
なんなんですか?

つらくない人につらい思いはわからない。
なので、わからないのであれば聞き方があるんじゃないのかと。
私の意図や希望を聞きたいがために対話を向こうから望んできたとき、私はほぼ率直に思いを述べる。
腹を割る必要なんてないだろうに、相応以上の正直さを以てして話す。
そして、これ以上尽くす言葉はないという自己判断のもと、傲慢になる。
このときばかりはこう思う。

私に対する理解は「してほしい」ものではない。
「しろ」だ。

意外とこういうことが多い。
「なんか、前にもやってたんだって?」
「興味ないわけじゃないよね?」

社会人になってから、バンドの数合わせやらなんやらでもあった。
そして毎度、ほぼ知らない人に誘われている。

私は常に何かしらに腹を立てては疲弊しているのだが、前述した、なんとか外向きのペルソナをそれはもう捏ねに捏ねて、ギリギリのところで張り付けることができた結果がこれである。

そして、この情報はどこから漏れてんだ?と思う。
しかし知られてしまっている事実にしらを切れないので、これもひとつの経験か、と参加してみるものの、相変わらずの社会性のなさが起因してうまくやっていけない。
さっさとやめておけばいいのに、義理なのか責任感なのか、ある程度在籍してから「ここいらでやめさせてもらいますわ」を話す。

事の顛末ははだいたい知らないままで終わるが、知っている人間に「ほんとはやりたくなかったのかなあって言ってましたよ」と声をかけられて、
うわこいつが言ったんか、言いそう、他人事だと思って適当言いやがって……
と嫌いになった。
もう、どうでもいいではなく、嫌いになる。

「やめたいです!」に理由はつけられるけど、その実その理由はただやめたいだけなんだよ。
考えるのも、そこに時間かけるのも嫌だから。

消費されている。
ただの頭数。

まあ、わかんねえか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?