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書評:『島とクジラと女をめぐる断片』

先日、書評家の豊﨑由美さんを講師にお迎えして行われている「翻訳者のための書評講座」第5回に参加しました。豊﨑さんと講座生の皆さんから頂いたご意見を元に、提出した書評を改稿しましたので、元の書評、改訂箇所、改訂版をここに掲載いたします。

[元の書評]
今年没後25年を迎えたイタリア文学者・翻訳家の須賀敦子が生前、どうしても訳したいと熱望したことで邦訳版が日の目を見た、アントニオ・タブッキ著『島とクジラと女をめぐる断片』。タブッキによれば、大西洋のただ中に浮かぶポルトガル領アソーレス諸島で彼が過ごした日々に存在を負っている、真実と虚構が渾然一体となった作品である。

文庫版で140ページほどの小品だが、「まえがき」で始まり、幻想的な文章で物語の幕開けを飾る「ヘスペリデス。手紙の形式による夢」へ続き、IとIIに分かれた短編全7編の後に「あとがき」があり、最後は「補遺」で締めくくられている。かっちりとした構成に反して、そこに収められた文章は軽やかで自由だ。鯨、島、船にまつわるさまざまな逸話を集めた散文集「その他の断片」、ある詩人の一生を描いた伝記的な「アンテール・デ・ケンタル――ある生涯の物語」から、タブッキが偶然耳にした会話から着想を得た、映画の一幕のような「アソーレス諸島のあたりを徘徊する小さな青いクジラ」や酒場で出会った男の打ち明け話として三人称で語られる「ピム港の女――ある物語」のような物語色の濃い短編まで、形式も内容も枠に囚われず、実に多彩だ。中でも、地元の捕鯨船に同乗して、伝統的な手投げの銛による鯨捕りの一部始終を描いた「捕鯨行」と題された掌編は、ルポルタージュさながらの迫力に満ち、異彩を放っている。

一見すると、互いに関連なく思える作品群を細い糸のようにつないでいるのが、隠喩としてのクジラだ。訳者あとがきで、須賀敦子はこのように表現している。「難破と、滅びゆくクジラをめぐる断片集。はてしなく人生と文学に近い隠喩をタブッキは発見したのではないか。」

巧みに考慮された構造を持つ物語をクジラに誘われて読み終わる頃には、世界の海から消えつつあるクジラ、滅びゆく捕鯨という営み、そして捕鯨の衰退とともに廃れゆくアソーレス諸島への愛惜の念が湧いてくる。また、捕鯨で栄えたアソーレスの最期の姿を、タブッキは物語という形で残しておきたかったのかもしれない、と想像する。

最後になるが、この本の原題は『ピム港の女(Donna di Porto Pim)』だが、「クジラや島の話が表題から落ちてしまうのが惜しかった」という須賀の判断で『島とクジラと女をめぐる断片』に変えられた。この作品の本質を突いた見事な改題に、賞賛を贈りたい。

本文:993字(スペース含む)
想定媒体:新聞書評欄

[皆さんのご意見と改訂した箇所について]
・1段落目:「須賀敦子が生前、どうしても訳したいと熱望した」→「須賀敦子がかつて、どうしても訳したいと熱望した」に変更
「生前」が入ると「熱望したが生前には叶わず、没後だれか他の翻訳家の手によって実現した」という流れになると予想してしまう、というご指摘。
・1段落目:「存在を負っている」という表現が分かりにくい。何に存在を負っているのか。
この表現はタブッキによるもので、元の書評ではタブッキの言葉を少し編集したので、分かりにくくなってしまった。改訂版では、その辺りが分かるようタブッキの言葉を長めに引用して「」を付けた。
加えて、
・2段落目:酒場で出会った男の打ち明け話として三人称で語られる「ピム港の女――ある物語」→作家の視点ではなく、男の視点で語られているということを間違って「三人称で」と表現してしまったことに気づいたので削除。
その他にも多少手直しをして、改訂版を作成しました。

[改訂版]

書評:『島とクジラと女をめぐる断片』

今年、没後25年を迎えたイタリア文学者・翻訳家の須賀敦子がかつて、どうしても訳したいと熱望したことで邦訳版が日の目を見た、アントニオ・タブッキ著『島とクジラと女をめぐる断片』。島とは大西洋のただ中に浮かぶポルトガル領アソーレス諸島を指し、タブッキによれば「これらの文章は、基本的には僕自身がアソーレス諸島で過した日々に存在を負っている」、真実と虚構が渾然一体となった作品である。

文庫版で140ページほどの小品だが、「まえがき」で始まり、幻想的な文章で物語の幕開けを飾る「ヘスペリデス。手紙の形式による夢」へ続き、IとIIに分かれた短編全7編の後に「あとがき」があり、最後は「補遺」で締めくくられている。かっちりとした構成に反して、そこに収められた文章は軽やかで自由だ。鯨、島、船にまつわるさまざまな逸話を集めた散文集「その他の断片」、ある詩人の一生を描いた伝記的な「アンテール・デ・ケンタル――ある生涯の物語」から、タブッキが偶然耳にした会話から着想を得た、映画の一幕のような「アソーレス諸島のあたりを徘徊する小さな青いクジラ」や酒場で出会った男の打ち明け話として語られる「ピム港の女――ある物語」のような物語色の濃い短編まで、形式も内容も枠に囚われず、実に多彩だ。中でも、地元の捕鯨船に同乗して観察し、伝統的な手投げの銛による鯨捕りの一部始終を描いた「捕鯨行」と題された掌編は、ルポルタージュさながらの迫力に満ち、異彩を放っている。

一見すると、互いに関連なく思える作品群を細い糸のようにつないでいるのが、隠喩としてのクジラだ。訳者あとがきで、須賀敦子はこのように表現している。「難破と、滅びゆくクジラをめぐる断片集。はてしなく人生と文学に近い隠喩をタブッキは発見したのではないか。」

巧みに考慮された構造を持つ物語をクジラに誘われて読み終わる頃には、世界の海から消えつつあるクジラ、失われていく捕鯨という営み、そして捕鯨の衰退とともに廃れゆくアソーレス諸島への愛惜の念が湧いてくる。また、捕鯨で栄えたアソーレスの最期の姿を、タブッキは物語という形で残しておきたかったのかもしれない、と想像する。

最後になるが、この本の原題は『ピム港の女(Donna di Porto Pim)』だが、「クジラや島の話が表題から落ちてしまうのが惜しかった」という須賀の判断で『島とクジラと女をめぐる断片』に変えられた。この作品の本質を突いた見事な改題に、賞賛を贈りたい。

本文:1,025字(スペース含む)
想定媒体:新聞書評欄

余談ですが、須賀敦子さんについて、「想定媒体は一般の新聞より『婦人画報』など読者の年齢層が高めの媒体の方がよいのでは?ある程度の歳の人でないと須賀さんのことは分からないと思う」というご意見をいただき、実際に須賀さんのことを知らないと他の講座生の方がおっしゃっていたのが、勉強になりました。言われてみれば、須賀さんが逝去されて四半世紀ですものね。
しかし、このまま過去の人になってしまってはもったいない!と思うので、もし須賀敦子さんにご興味を持たれた方がいらしたら、詩情を湛えた美しい文章を味わえるエッセイをぜひ。
『ヴェネツィアの宿』『コルシア書店の仲間たち』が文春文庫から、『トリエステの坂道』が新潮文庫から、『ミラノ 霧の風景』が白水Uブックスから出ていますし、上記のエッセイは河出文庫の『須賀敦子全集』(全8巻+別巻)の第1、2巻にも収録されています。


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