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今クールドラマ「となりのチカラ」が今放映される意義

核家族化が進み、
閉鎖的になった家庭の問題解決には
以前のような隣人同士の協力という

風通しが良く、
透明性のある環境づくりが必要だ

ということをやんわりと提唱した
という意味で今クールのドラマ
となりのチカラはすばらしい

視聴率が取れてないみたいだけど
演技の善し悪しはいまいち分からないし
まずはストーリーに注目したい。

これまで扱ったテーマは
・認知症のおばあちゃん
・いじめに抵抗したら少年院に
入らざるを得なくなった人
・外国人労働者
・家庭内暴力がやまない家
などなど画期的だった
世間的に疎まれがちな弱者である。

主人公チカラが鬱陶しいのは分かるけど
ちょっと鬱陶しいくらいじゃないと
隣人間の隔たりが大きい現代では
協力なんて仰げないから
あのキャラ設定なのではないか。

最新話で印象的だったのは
DV旦那を訴えない理由が
「娘を犯罪者の子供にしたくないから」というもの。簡単には支援を願えない立場への理解が深められる。

まあ敵を倒したり、闘いに勝ったりする
分かりやすい話の方がウケるのだろうし

主夫ゴーストライターとか見たくないだろうし
いつまで絵空事語ってんだよとか
人の家の内情に立ち居んなよとか
思う人の方が多いのかな

けど私はそのおかしいことをおかしい
と言える純粋な精神は忘れたくないなと思った。

主人公チカラの考え方に共感するというのもこのドラマに惹かれる理由の一つだ。
「生まれながらに悪い人間はいない」という。

世間的に良くないとされることをするようになったのには必ず背景があるはずだと仮定して
それを想像する。他人に寛容になるのだ。
実際、本当に根っからの悪人というのは極めて少なく、みな何かしらの事情を過去または今に抱えていた。生まれながらに邪悪な人間っていうのは
ヴォルデモートくらいしかいないし、皆どっかで歪められてるだけなのだ

この「生まれた瞬間から悪い人はほぼ居ない。今は悪い人かもしれないが、何かしら事情があるに違いない」という性善説チックだが性善説とは異なる考え方を最初に私が学んだのは以下の本でだ。

何はともあれ、閉鎖的な現代に新しい風をまた吹き込んだという意味でこのドラマは非常に意義深い。さすが、過保護のカホコや同期のサクラを手がけた遊川和彦である。

だがしかし次週は自身の家庭を顧みることが少なくなったチカラを見かねて奥さんが家出をするということでこれまた見ものである。人生簡単にはいかないものだ

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