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⑦ ChatGPTと深層学習と「生きづらさ」


 「生きづらさ」の根源が、幼少からの「学習」「条件付け」といった強化によるものであった、と仮定した時、そうした「生きづらさ」を解消するにはどうしたらいいか、という段階に入ってきた。

 前回の結論は、そうした「学習」や「条件付け」は、ベタで基礎基本な古典的なものだが、比較的長い時間をかけてそう「刷り込まれてきた」ために、一朝一夕には解決しないのではないか?という絶望であったが、なんとかそれを乗り越えていこう。

 オラに力を分けてくれ。


 古典的条件づけであれ、オペラント条件づけであれ、インプットされ続けてきた「負の情動」のようなものを塗り替えるには、

■ポジティブなものを、外部から注入する必要があるのではないか?

ということも、前回の仮定であった。

 そして、それは、自分の中から勝手に、自動的に湧き上がるものでない以上、「なんらかの(愛情ある他者の)手助けが必要なのではないか?」というあたりまでは考察したところである。


 一般的に考えれば、そうした助けは「医療やカウンセリングなど」ということになるだろうが、前回は

「カウンセリングは、学習や条件付けといった”なぜそうなったか”についての理論を明らかにはできるが、新たな愛情を注入できるわけではない」

ということについても触れた。

 では、「愛情をもって接してくれる人」に出会えたのならそれはラッキーだが、それ以外に何らかの方法で、

■ 感情OSを、生きづらさを「塗り替える」「書き換える」

ことはできないのか?というあたりに踏み込んでゆきたい。


 実は、心理学や精神医療において、それに近いことをやろうとしている試みは既に存在する。それは「認知療法」や「認知行動療法」といったものだ。

 実はこの領域は「感情OS」とは異なる「自然言語処理」の領域でなされることが注目ポイントだ。

 つまり、認知療法や認知行動療法は、どこを書き換えようとしているのかというと

■ 感情OSの部分ではなく、その上の段階の「脳の言語処理」「概念処理」の部分にテコいれして、パッチを上から当てようとしている。

のである。

 さて、認知とは「もの受け取り方や考え方」という意味である。これは面白いことに「言語」「理論」の分野・領域で、感覚器が感じた「感情OS」のレベルの話ではない。

 つまり、感情では

「嫌だなあ。つらいなあ」

と思っているのに対して、言語の領域で、上から、

「いや、そうではないくてこういう考え方もあるよ、違った見方もあるよ」

ということを上塗りしてゆくのである。


 ここで、この連載の最初のほうに戻るが、人間は結局「感情を持っていても、言語・ことばでしか理解・処理できない」という特性があるため、

■ 苦しいのはこういう理由だからだ

と、どうしても考えてしまうことを逆手に取るのである。どうせ言語化しなくてはならないのであれば「ネガティブで、トラウマな、学習された条件付けに引っ張られたほうの言語化」ではなく、それとは別の「違った見方・視点の言語化」を強制的に注入してみることで、生きづらさにパッチを当てるわけである。

 なるほど、それはたしかに使えそうだ。


 ちなみに認知”行動”療法のうち「行動」とは、うまくやれそうな行動を習慣付けて、実際の動きの側からも改善を図るものである。なるほど、これも「肉体」を望ましい動きに近づけてやろう、という試みで、これも一理ある。

■ 感情→嫌だ、動きたくない、拒否したい→行動が制限される。

という動きがあるとして、

■ できる行動や苦痛が少ない行動を積み重ねる → 嫌かどうかに関係なく、「できる」を増やす

という感じに捉えればわかりやすいだろう。ようするにバグを誘発して、「嫌だ」の感情に引っ張られるのを阻止しようという試みである。

 (バグ、というと聞こえが悪いが、感情のほうは最初から最後まで嫌がっているので、本来は何も行動できないことになる。しかし、優先順位が高かったり、それほど苦痛に直結しない行動を先にやらせることで「やれるんだから、これは嫌ではないのだ」と、ようは”丸め込む”わけだ。これも感情が言語でしか処理できないことを逆手に取っている)


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 認知療法についてのWikiを読むと、たしかにこれが「言語化された思考」を用いるものであることがわかる。なので、言語と思考をいじくってやれば、「認知が変わり、悪い循環が変化するだろう」と試行するものなのだ。


 認知行動療法になると、認知の変化だけでなく「行動」も扱うらしい。たとえば「感情が不適切だと考えたら、正反対の行動を取ってみる」とか、マインドフルネス(禅)などを取り入れて呼吸法を試してみるとかである。


 ところが面白いのはここからだ。「認知療法や認知行動療法が効いている」のは、本当にそのやり方が「効いている」のではなく、プラセボ効果なのではないか?という反論があるというのだ。

 つまり、「そういう治療をしてまっせ。なので効いているはず」という思い込みにすぎないのでないか?というわけだ。

 『心理的な苦痛を和らげてはいるもののうつの根本的な部分は実際に変わっていない』

という批判があるらしく、なるほど、私が説明したように「バグを誘発するもの」である以上、ことばで慰められているレベルにとどまり、実際には

「治ってない」

可能性があるというのだ!!

 これはめちゃくちゃ面白い(失礼)な話で、だとすればカウンセリングも自助グループも、本質的には「無駄」ということになる。

 ちょっと苦しみを和らげる、くらいにしか使えないというのだから!!

 

 ここまででわかったのは、

■ 「言語処理レベルで感情を上から書き換えようとする試みが存在する」

ということと、

■ 「それによって言語処理で、感情を緩和することはできる」

ということと、

■ 「しかし、感情OSのところは、実は癒やされておらず、治ってない」

ということだった。(もちろん、全部仮説だが)


 ちなみに余談っぽく横道に逸れるが「認知療法」が「認知行動療法」にブラッシュアップされているあたりにも、謎のヒントが隠れているように感じる。

 つまり「認知=言語レベル」だけでは、うまくいかないので「肉体・感情OS」レベルまでいじってやらないと、治療にアプローチできないことがわかってきたのではないか?

 行動とはつまり、肉体と感覚器にまで、触れる・動かすということだ。感情OSと、言語処理レベルのどちらにもアプローチしないと、人は「治らない」ということを暗示しているようで、たいへんに興味深い。


 とまあ、話は尽きないのだが、ここらで「深層学習」について触れておいて、理解を進めてゆこう。

 前回は単純な「学習」「条件づけ」までの話だった。これはどちらかというと感覚器や肉体・感情レベルに埋め込まれた反射や反応の話だったが、言語処理はそれとは異なる「学習」を行っている。

 そこで、人工知能がモデルとしている「深層学習=ディープラーニング」とはなんなのか、このへんで一旦押さえておきたいわけだ。

 

 比較的わかりやすい記事があったので紹介しておこう。

 まず、旧来のコンピュータは、たくさんのデータをあらかじめ与えて、それらを分類して覚え込ませるものだった。
 これは、アホなチャットボットと会話したことがある人はわかると思うが、「〇〇ですか?違いますか?」ということを単純に繰り返して、必要な結果にたどり着くのみのことを意味する。

 なおかつ、ひどい場合には、元原簿にないデータについては、「どれにも当てはまりません。わかりません」で終わってしまうという、知能とは呼べない単なる条件分岐に過ぎないものであった。

 それに対して、最新の深層学習では、「あらかじめ設定されていない分類であっても、自動で統計的に判別して結果を出す」ということをやっている。
 どのような方法でそれを実現したかというと、脳の神経回路を模した入出力器官をモデル化して、そこにデータを放り込む時、4層くらいの同じ機械にデータを流すのだそうだ。

 この4層くらい、というのがミソで、入出力の神経回路に4回データを流すと、「あるデータの分類や仕分け、特徴の判定がうまくいくことがわかってきた」のだそうである。

 ”なんかよくわからんけど、すげえ”、というレベルの理解で大丈夫だ。

 ベタで平たく説明すると、入出力回路が1層(1段階)しかないと、ぶっちゃけ、「イエスかノーか」くらいの二元思考でしか判定ができない。ところが、それが4層(4段階)くらいあると、もっとふわっとした分類ができるわけだ。

 実は深層学習は最初「画像認識」の分野で発展したので、ChatGPTのように言語処理に用いられるのは後発組だと、ざっくり思えばいい。

 わかりやすく画像処理で説明すれば、1層しかなければ、「目がふたつで、鼻があって口がある」という特徴抽出しかできないので、ヒトもネコも同じように判定されてしまう。けれど、4層あれば、ヒトの目や鼻と、ネコの目や鼻が「大枠では似てるけれど、特徴の分布やまとまりでは違う」ということが判定できるようになる、みたいな感じで理解すればいいだろう。

 逆に画像生成にこれを用いれば、1層だけだと「スマイリーの絵文字人間」みたいな顔しか出力できないが、4層あれば、ヒトとネコの違いを描き分けられそうな気がしてくるだろう。

 まあ、ざっくり言えばそんな感じである。知らんけど(笑)


 さて、話を戻そう。深層学習と「生きづらさ」がどのように関係してくるのか。

 少なくとも、「二元思考」のような言語処理があまりよろしくないことは見えてきた。そして、「生きづらさ」の究極は「二元思考」なので、

『いやだ、つらい』→『死ぬ』

という1層処理に近いことが、なんとなく想像できる。

 人間にとって4層が理想かどうかはともかく、「多層処理」「多段処理」ができれば、

『しんどいけれど、おぼろげながら生きてゆく』

ということが可能になるかもしれない。


 逆に言えば、これは「言語処理」レベルだけで行える話なのだから、認知療法とは、つまり、

『いろんな考え方、見方を提示することで、固着した思考をほぐす』

ということなのだろう。

 お?ということは、認知療法は

『多段処理を行う』『抽出をまろやかにする』

ということなのではないか?

 ほら!どうだ、話がまとまってきただろう!

 なんだか、うまく丸め込まれているような気がすると思うが、それこそが

『認知療法』

なのだ!参ったか!このやろう。


(つづく)



 









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