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偽神礼賛 〜2000年の時空を超えた、超陰謀論〜

 私、武庫川散歩は、解脱者でこそあれ、けして「陰謀論者」などではないのだが、これから書こうとしている内容は、いわゆる普通の生活をしている現代人にとっては、「あまりにも突拍子もないことのように見える」ぶっ飛んだ内容を含んでいる。

 なので、ざっくりこれからの文章を読むと、「おお!新しい陰謀論か?」とか「こいつは頭がおかしいのではないか?」といったトンデモな感想を抱かせてしまうかもしれない。

 しかし、書いている当人である私はいたって真面目に考えていて、この真実を知ってしまうと、もうこれまでの生き方、視点には戻れないのではないか、とも思っている。

 現代社会における常識的内容と、真っ向からぶつかり合ってしまうというこの新説・あるいは珍説は、実はセカイの隠された真理を暴いてしまうかもしれない。

 さあ、常識人たる賢明なる読者諸君は、これから始まるものすごい話に耐えられるだろうか。

 だが、これはこのセカイのもう一つの真実なのだ。

 覚悟して読むがいい。

 ・・・って、神様が言ってました。しらんけど(笑)


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 さて、2023年10月現在、イスラエルという国が、パレスチナのハマスという政治的・軍事的集団と対立抗争を起こしていて、そのハマスの本拠地である「ガザ」という地域に侵攻するという大事件が起きている。

 これを平たく言えば、「戦争」である。

 イスラエル人とパレスチナ人が戦争をしているのだが、さて、ここで問題だ。

 イスラエルとパレスチナ、双方にそれぞれ言い分や経緯はあろうが、外野としてこの問題を客観視しているあなたの目から見て、どちらが「正しい」主張をしているだろうか。

 あるいは「どちらに正義があるか」という話なのだが、あなたはどう答えるだろう。

 ・・・その答えを考える前に、もうひとつだけ情報を追加しよう。

 イスラエル人は、「ユダヤ教」を信じている。ユダヤ教は、現在イスラエル人と呼ばれるユダヤ人の信じる宗教で、聖書に書かれた神である。

 パレスチナ人は「イスラム教」を信じている。イスラム教は、ユダヤ人と同じ地域、あるいは重なった地域で生まれた宗教なので、イスラム教の神もまた聖書に書かれた神である。

 これまた平たくいえば、イスラエル人とパレスチナ人が信仰している神は、どちらも聖書の神であり、おなじ神と言ってよい。

 もう少し補足すれば、イスラム教のほうは、「聖書の時代」に起きたことに付け加えて、イスラム教創始者の「ムハンマド」が追加したコーランなどの内容も含んでいるから、おなじ神ではあるものの、すこしだけブラッシュアップされた新バージョンである、と考えることもできるが、それはあまり本筋に関係はないだろう。


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 さらに余談だが、ウクライナとロシアが現在戦争中だが、ウクライナは「ウクライナ正教会とカトリック」の国で、ロシアは「ロシア正教」の国である。これまたどちらも同じ神であり、その同じ神がどちらを応援しているか、よくわからない。


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 ただし、ウクライナとロシアの場合は「神の名によって戦争をしている」わけではなく、「神のために、神が原因で」戦争をしているわけでもない。

 なので、神なき現代社会において、教会のありようと戦争のありようは、それほど本質的に関わり合うわけではないので、「神がいるかどうか」とか「神がどちらの味方か」などについては、とりあえず考えなくてもよいと言える。

 神の世界観というよりかは、もう少しドライで現代チックな「人間同士の対立」の上で戦争が遂行されていると言ってよいだろう。


 ところが、イスラエルとパレスチナの場合は違う。イスラエル人・パレスチナ人にとって「神がいるかどうか」は大きなテーマである。

 そしてイスラエルとパレスチナの戦争は、常に「神の領域」をたぶんに含んだ戦争にならざるを得ない。「神のために、神が原因で」戦争が起きていると言ってもよい。

 なぜなら、

”イスラエルは神話に基づいて人工的に作られた国家”

だからである。


 さて、ではでは本論に戻る前に、どんどん脱線するようだが、大事な話なので歴史を振り返っておきたい。

 そもそもイスラエルという国は、無理矢理に作った人工国家である、というところから思い出しておかねばなるまい。


 細かく説明すればキリがないので、ざくざくざっくりとワイルドスピードで説明するが、まず、聖書(旧約聖書)が書かれたのは紀元前5世紀から54世紀ごろで、今から2300年くらい前と思えば良い。

 日本では、縄文〜弥生時代の話だ。

 縄文土器、弥生土器、どっちが好き?どっちも土器♪


 その弥生時代くらいに、中東のとあるエリアに住んでいた人たちに神話の中で神が約束するわけだ。「おまえたちにあの土地をやろう」と。

 その弥生時代の中東人は、神に約束された土地なので、いろいろ頑張ってそこを手に入れようとした。その大半は、その土地に住んでいたり関係していた他の民族との戦いで、戦いに明け暮れながら、勝利してゆく。

 そして、いろいろあって一応、最終的に彼らはその土地を手に入れることができた。それがヘブライ人=ユダヤ人であった。

 土地を手に入れたことで、彼らは最初の統一国家を作ることに成功した。それがまあ、「イスラエル」という国だ。

 この国の王は「神に選ばれた者」である。当然神が約束した土地に、神が選んだ王がいて、神に選ばれた民がいるわけで、この国はとても「宗教的性質」を帯びたものになっている。それは、それで別に構わない。

 ちなみにこの国の最初の王、ダビデの時代は、日本ではまだ弥生時代である。卑弥呼はまだまだ登場しない。

 さて、その後いろいろあって、このイスラエルという国はローマ帝国に滅ぼされてしまい、ユダヤ人は住んでいた土地を追われて世界中にバラバラになってしまう。

 これが、だいたい紀元130年頃で、このあたりがちょうど卑弥呼の登場になる。

 このユダヤ人の離散を「ディアスポラ」と呼ぶが、この時にローマは、

『イスラエルやユダヤという名称を抹殺した』

『古代のペリシテ人に由来するパレスチナという地名を名付けた』

のだ。これ、テストに出るやつだ。


 そんなこんなでユダヤ人は世界中に散らばって、「自分の国を持たない」民族になってしまったのだが、ユダヤ人がいなくなった空白地帯には当然、周辺から人々が入ってきて住み着いてしまう。それがパレスチナ人である。

 もっと言えば、離散せずにその近辺に残ったユダヤ人の末裔ですら、パレスチナ人として続いている者もいるという。

 そのポイントとなるのは宗教である。

 ユダヤ人はあくまでもユダヤ教を信仰しているので、パレスチナに残って現地人と同化した人たちは、信じる宗教がイスラム教へと変わってゆく。ユダヤ教の独自性(閉鎖性)を失った子孫は、当然ユダヤ人ではなくなってゆく、という流れである。

(科学的な大前提としてユダヤ人というDNA的民族は存在しない。聖書の時代から多くの民族が姻戚関係を結びながら続いており、雑多な民族性の集合体がユダヤ人であった。現代のユダヤ人のアイデンティティは、DNAよりむしろ、『ユダヤ教を信仰する家柄』のほうが強いと言えよう)


 ここでもまた余談が必要だ。

 ユダヤ教のみが信じられた時代が長らく続いたが、ちょうどディアスポラの直前に「イエス・キリスト」が現れた。なので、ローマ帝国に支配されてごちゃごちゃしている時に「キリスト教」が誕生している。

 さらにややこしいことに、ローマ帝国で「キリスト教」が国教として認められてしまったので、ローマ帝国の流れをくむ西洋社会ではキリスト教が広まってしまった。

 その次に、現在のサウジアラビアあたりを中心として、中東に「イスラム教」が誕生した。創始者のムハンマドは、聖書の神や預言者を自分の先輩だと認めたので、イエスの信じた神も、ユダヤ教の神も、イスラム教の神も、基本的には同じ神である、ということになってしまった。

 こうして「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」は同じ神を信じることになってしまったのである。


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 はてさて、だいぶマクラの部分が長くなったけれど、すこしずつ話を本筋に戻してゆこう。

 世界中に離散して、国を持たない民族となったユダヤ人だが、その間にパレスチナにはそこらへんの人たちがどんどん入ってきて、定着定住してしまった。

 そして、イスラエルという国が復活する。それが昭和23年のことである。

 ここでよーく歴史年表をイメージしてほしい。昭和23年だ。

「卑弥呼の時代に土地を奪われたユダヤ人が、国家を再興することができたのは、昭和23年である」

ということを。

 その土地は、パレスチナ人のものだろうか、それともイスラエル人のものだろうか。

 イスラエル人が「自分たちの土地だ」と主張する原理原則があるとすれば、それは至極シンプルなもののはずだ。

「なぜなら、神が約束した土地だからだ」

という神の論理・神話である。

 卑弥呼の時代の神の約束が昭和23年に実行されるわけである。


 ふつうに考えたら、そんな無茶苦茶なことが実現するわけがない。ところがそれができてしまったのは、イギリスが勝手にそうしたからである。

 詳しく書くと紙面が足りなさすぎるが、パレスチナはオスマン帝国が滅びたあと、イギリスの委任統治領になっていた。これが第一次世界大戦ぐらいの時。実は、この直前、イギリスはオスマン帝国を倒すためにアラブ人に「もし手伝ってくれたら、あとでアラブ人の独立国家を作るよ」と約束してしまった。

 ところが同時期、世界中に散らばって金融で力をつけていたユダヤ人にも、「手伝ってくれたら、ユダヤ人の国を作るよ」とも言っている。イギリスは、そういう国だったのである。

 さらにそのあと、これもまた有名なナチス・ドイツのユダヤ人迫害によって、多くのユダヤ人が難民になっていた。これが第二次世界大戦ぐらいの時だ。


 そのあたりから、10万人のユダヤ人をパレスチナに送るという動きが生じ始め、最終的に国連によって

「ユダヤ人の国とアラブ人の国を、そこらへんに分割して作る」

ということになったのだ。

 そうして現代のイスラエル国家が誕生したのである。

 当然、アラブ人の側からみれば「なんでやねん!」ということになる。卑弥呼の時代に出ていった民族が大量に押し寄せて新たな国家を作ってしまうという事態なのだから、それは現地人であるアラブ人の事情を無視した、欧米西洋の暴挙ということになる。


 こうした歴史の流れには、まず「ユダヤ教」の誕生があり、「キリスト教と西洋諸国」の動きがある。それに「イスラム教」の中東社会が、複雑に絡んでくるわけだ。

 もっと話をややこしくしようと思えば、十字軍の話などを織り交ぜるとよい。

 西洋諸国が「イスラム教」ではなく、「ユダヤ教」寄りのような動きをする理由は、西洋諸国のキリスト教徒が、当時(日本では鎌倉時代ごろ)イスラム教徒に支配されていたエルサレムを奪還しようと軍隊を送り込んだのであるが、このあたりから「ヨーロッパ人VSアラブ人」の構造が生まれ始めていたのである。

 しかし、こうしたことを全部逐一話してゆくと、世界史の単位がもらえてしまうくらいスケールがでかくなってしまう。

 つまり、歴史はぜーんぶ、同じ神、同じ信仰に端を発した壮大な物語だと言えるわけだ。

 もし神が存在しないなら、人類は「神の物語」を2000年以上もそのように解釈しながら、想像しながらイメージで推し進めてきたことになる。

 これはなんとも恐ろしいことではないか!


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 さて、今回の話のテーマである「陰謀論」のところまで到達せず、第一回は終わってしまった。

 では、こうした世界史の流れを踏まえて、これが「表の歴史」だとすれば、「裏の歴史」はどうなるのだろう。

 我々は「表の歴史」しか知らなさすぎる。そこには、壮大な隠された事実があったのであるが、それは次回に持ち越すことにしよう。


(つづく)




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