外見は日本人、内面はイタリア人という僕
あなたが今この時代を生きる人ならば、覚えていてほしい。
今の時代には、
「体の外と中で文化が異なる人がいる」
という事を。
体は生まれてから身長が伸びるだけで、パーツを変える事はできないが、
中身は影響を受けてどこまでもどこまでも「変化」していく。
つまり、良い意味でも、悪い意味でも、より多くの経験をした人は、
生まれた環境と育った環境の中でギャップが生じてくるという事。
僕は高校1年生までは日本の環境で育っていたが、
17歳の高校留学から、ずっとイタリア語と英語を使って、
ほとんどの時間を過ごしている。
高校以降の日本人としてのライフイベントが欠け、日本の外で過ごしてきた。
それでいて、アメリカやイタリアの会社で働いてきた。
だから、
僕にとって、イタリア人の友達と常日頃から出歩く事はごく普通である。
思った事は全部伝え、小さな事に腹を抱えて笑い、
ポジティブな会話で日常が溢れていて、
そういう彼らの在り方に、これまでもこれからも、僕自身の居場所を求める。
それの方がしっくりくる。
…
日本人がイタリア社会に10年いただけで
そんなに影響を受けるのかと疑問に思う人もいるかもしれない。
僕にとっては、以下の人たちも似たような感覚を持っていると考える。
「生まれは沖縄ですが、人生のほとんどの時間を東京で過ごしています。
だから、僕は沖縄弁の話し方は知らないんです。」
「私は両親が小さい頃に別れ、貧しい生活を続けていましたが、
大学受験や就職活動で頑張って、今は外資に属し、ドバイで働いています」
散り積もった時間の中で、様々な事に影響されて、別の人になっていく。
その結果、生まれた環境と現在の環境が果てしなくかけ離れていく。
…
僕にとっても、2008年のイタリア高校留学はただの留学ではなく、
人生を変える掛け替えのない1年だった。
血が繋がらない他の国から来た高校生だった僕だけど、
7人兄弟がいるそのイタリアの家族はどこまでも優しくしてくれた。
何度もドライブをして、買い物をして、早起きをしては一緒に山を登った。
「なんで知らない人にここまで親切にできるんだろう」
毎晩、笑い声が響き渡るその夕食に当時の僕は泣きそうだった。
留学が終わっても、僕はアルバイトでお金を稼いでは、
何度帰ったかわからないくらい、イタリアに帰った。
ホストファミリーからもお父さん、お母さん、お兄ちゃんが、
イタリアミラノから日本東京へと、
13時間もする飛行機に乗って遊びに来てくれた。
時差ボケに疲れながら再会を喜んでくれる彼らを、僕は思い切り抱きしめた。
彼らイタリアのホストファミリーが好きだったから、
他にもイタリア人の友達をつくって、イタリアの会社で働いた。
僕にとって、この10年は、そういう人生をどこまでも変えた10年だった。
…
それぞれが本当に違う価値観で生きている。
つまり、そういう事。
だから、
もしもあなたに外国の友達ができたら(外国からでなくてもいいのだが)、
「どこから来たのか」を聞くだけでなく、
「どの文化に安らぎを感じるか」
「この場所でどれほどの時間を過ごしてきたのか」
「なんであなたをこの場所がそこまで魅了したのか」
お願いだから、そういうところまで踏み込んで聞いて欲しい。
僕の友達のイタリア人にも日本のアニメをこよなく愛し、
自分のアイデンティティはイタリアではなく日本にあると、
そう話す人が何人もいる。
僕が今日この場であなたに話したように、
笑い事ではなくて、その人たちも心からそれを言っている。
見かけだけで人を判断してはいけないというのは
きっと、そういう事。
性の在り方が様々ないように、その人が持つ文化も様々。
生きるって、面白いね。
最近、それをよく思う。
#日本 #イタリア #日本人 #イタリア人 #外国人 #文化 #国籍 #異文化
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?