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【18日目】『うにのトゲ理論』命はうにの形だ(ジンセイのトリセツ)

◆あなたは、わたしである

 上級編ではこれまで、死後の話から時間の構造の話、関わりの網目の話や命というものの正体の話をしてきましたが、どうしてこういう話を長々としているかというと結局は

幸せに生きるにはどうしたらいいか?

という話をするためです。そしてそのために絶対に避けられないのが

他者との関係性

という話なので(【個別のドラマ】の全ては【関わりの網目】だから)、ですからしつこくこの『他者』というものの正体を探ってきたわけです。

 前回の話でようやくこの『他者』とは何か? という疑問の答えを提示できました。すなわち他者とは

大きな一個の命から枝分かれしてできた多くの『個』のうち、自分と関わりのある者

という結論になります。

 だからです。

 あなたは、わたしなんです。

 わたしは、あなたなんです。

 これはポエムではなく「理論的に」正しい、文字通りの、この地獄世界での『命』というものの構造の解釈なんです。

 だからなんです……僕が一生懸命にこの『モトの話』をあなたに伝えようとしているのは、あなたが幸せに生きることが僕が幸せになるために絶対に必要だからなんです。あなたは、僕なんですから。


◆うにのトゲ理論

 繰り返しますが、僕たちは「大きな命のかたまり」のどこか一ケ所がニューっと伸びてきて、その先っちょに『それと知らずに』くっついている構造をしています。全員です。そしてそれらが時間の構造に従って【関わりの網目】を構成しながら【個別のドラマ】をやっているんです。

 地獄という場所は、そういう場所なんです。

 さて、こういう構造をした「命のかたまり」というのは、

うに

のような形だと思っています。うに、です。海産物の。
 あれですよ、僕たちが食べてる黄色いやつではないですよ……あれはうにの内臓です。調理前のうにはなんか黒くてトゲトゲしている生き物です。
 命がうにの形だとすると、僕たちはその「トゲの先っちょにくっついた顔」のようなものです。先っちょに外向きにくっついているので、顔どうしがお互いを見ることはできますが、自分たちがうに本体とくっついてるとは、よもやよもや、思ってもいません。

 こういう『命の構造モデル』を

【うにのトゲ理論】

と名付けました。命はうにのカタチをしているんですね!
(もちろんこれは構造を説明するための「仮想的なモデル」です……本当にこういう形状をしているわけではないと思います)

 うに!? とお思いかもしれませんね。色々考えたんですけどこの形が一番僕の考えに近いな、と思っています。クリの実でも似た形なんですけど、うにのほうがトゲがウニウニと動きますので(動くんですよ……知ってました?)より近いのかなと。


◆上級編の「メインテーマ」とは

 命というものがこういうふうに「ひとかたまり」である構造をしているということは、スピリチュアルなポエムでよく言われるような

  • わたしたちはバラバラの個ではなく、一つだ

  • わたしたちは心と心でつながっている

  • わたしたちはひとりじゃない

といったようなことが「事実」であることになります。「具体的な構造」によって、バラバラの個ではなく一つの存在で、ココロどうしがモトでつながっていて、ゆえに「一人になることができない」存在こそが『生き物』というものの宿命のようなものだと理解できます。

 その『生き物』どうしで【大いなる矛盾】(弱い者を殺して食う)をやらなければならないんだから、この世界はやっぱり【地獄】なんですよね……。そんな地獄のようなこの【地獄世界】で、僕たちが

幸せに生きるにはどうしたらいいか?

というのが、上級編のメインテーマなんです……実は。

 やっとここまで来ました……今回まで18日間もかけて長い長い「前フリ」をやってきましたが、僕が本当に言いたいのはここから先の話なんです。ただ、ここから先の話をちゃんと理解することは、これまで話してきたような「ジンセイの構造」が理解できていないと、どうしても無理だと思うんです。
 たとえば今日書いた『あなたは、わたしである』も、これまでの上級編の知識がない状態で聞くと「ただのポエム」なんです。ですが長い解説を経て今回やっとこれが「理論である」と説明できたわけです。

 というわけで……次回からようやく

ジンセイの取扱説明

に入ります。苦しみが支配する地獄の世界で『幸せに生きる』なんてことが可能なのでしょうか? ご期待ください!


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)