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【エチュード10】サタン・砂場・プリンタ

※関連のない3つの単語を使った小品を作る、という習作企画。全12回。

 ガラス張りのビルが悠然と林立するコンクリートジャングルも、日曜ともなると人気はまばらで、行き交う車の量も、平日のそれと比べると、可笑しくなるほどの少なさとなる。今日の薄暗い曇天の下、在りし日の繁栄を失ったかに見えるその街並みは、古代文明の遺跡のたたずまいさながらである。

 さて、そんなオフィス街の一画に、あなたの会社のビルはあった。あなたは、明日月曜の朝一で行われる会議に提出する資料作りのため、休日にもかかわらず、いつもより早い時間から出社し、たった一人オフィスでちまちまとパソコンを操作している。

 ディスプレイの横には、コーヒーの空き缶が3本と空ペットボトルが2つ、パンの空き袋数枚。休日勤務開始から、かれこれ7時間が経つ。

 プリンタにデータを送る操作をしたあなたは、疲れに疲れた目頭を押さえながら立ち上がった。うん、と背筋を伸ばし、首をぐりぐりと回す。脳に血液が送られ、意識がほんの少しはっきりする感覚。ほうっ、と溜め息ひとつ。
 あと一息だ。このデータをプリントし、校正して手直ししたら終わりだ。あなたは両手首をぐるぐる回しながら、オフィス中央の共有プリンタへ歩み始める。

 「あ・・・あれ?」

 ブブブ・・・と出力された紙を手に取ったあなたは、無人のオフィスで思わず声を上げた。あなたは確か、過去の売上と商品構成から導き出される業績予想のグラフを出力したはずなのだが・・・出てきた紙には、なにやら写真のようなものが印刷されていたのだ。
 思わずあなたは周囲を見回す。もちろん誰もいない。他の誰かが共有プリンタにデータを送った訳では、当然ない。不審に思ったあなたは、一体何のデータなのか、と手元の写真に目を遣る。

 と、あなたの口元が一気に弛む。この写真・・・なつかしいな・・・

 それは、あなたがまだちびっ子だった頃の写真だった。団地の裏にあった公園の砂場で、あなたと近所の子が一緒に砂山を作っている写真。
 当時流行っていたアニメのキャラが大きくプリントされたTシャツに、下はなぜかパンツ一丁という恥ずかしい姿で作業に勤しんでいるあなた。相棒の子も、同じような恥ずかしい格好で、小さなプラバケツに園芸スコップで砂を詰めている。

 何でこんなものが? と心のどこかで不審に思いつつも、あなたは疲れた心をさっと洗い流されるような気持ちになって、ついプリンタの横のパイプ椅子に腰掛け、その写真に見入ってしまった。

 本当に懐かしい。もう何年も、この写真をちゃんと見ていない。この写真の入った古いアルバムは確か、実家の押入れの奥にでもしまってあるんじゃなかったか。
 そういえば、この幼馴染の子とは、小学校を卒業して以来会っていないな。どうしてるだろう。今となっては、連絡を取る術もないんだけど・・・すっかり忘れてたけど、この子はこっちのことを、覚えているかな。

 そこでふと、あなたは気付いた。そういえばこれ、「写真」だったはずだ、と。
 いつ、誰が、パソコン用のデータに変換したんだろう・・・実家の誰か、父親か母親が、昔の写真をデータ化して、今こっちにメール送信でもしたんだろうか。

 家族からは何の連絡もなかったけど、それならばまあ、今ここのプリンタにこの写真が出てきている理由も、何となく説明できそうな気がする。そんなことを考えていた時だ。再びプリンタがブブブ・・・と唸り、何かを出力した。あなたは反射的にそれを手に取る。

 次の紙もグラフではなく、写真だった。あなたが中学校を卒業したの日の写真。七分咲きの桜を背景に、あなたとクラスの仲良し数人が、はちきれそうな笑顔でカメラに向かってピースサインを出している。
 確か、この写真を撮った後、腕を勢いよく伸ばしすぎて、全員で転んでしまって大笑いしたんじゃなかったっけ。

 やまっち、ひらっち、どんちゃん、ケンケン。みんなとはしばらく連絡をとってない。ケンケンからは今年も年賀状が来たな。あいつはこの頃からずっとマメなやつだった。今でも変わらない。みんな、どうしてるだろう。今でも地元に住んでるんだろうか。ケンケンはすっかり東京人だけど。

 と、先の一枚より速いペースでブブブ・・・と次が出てきた。次の写真は、あなたが地元を後にして、この街に出てくるときの写真だ。家族と一緒に写った貴重な一枚。この写真は焼き増しして、あなたと家族とそれぞれ一枚ずつ持っている。
 そういえば、この写真、どこにしまっただろう。ひょっとして、失くしてしまっているかもしれない。帰ったら探してみるか。

 そういえば、母も父も、この写真の頃ほうがずっと若く見える。たまに会っていると、そういう変化にはなかなか気づかないものなのだろう。二人とも年をとっているんだ、確実に。
 当たり前といえば当たり前の事実を、あなたはすっかり忘れてしまっていた。最近は、仕事ばっかりだったからな、とあなたは後頭部をぼりぼりと掻いた。

 家族のことをぼんやり考えているうちに、次の紙がブブブ・・・と出力された。次も写真だった。

 新人歓迎会の席上で、あなたと同僚が、やや緊張した面持ちで並んで座っている写真だ。これも懐かしい。もうずっと昔のことに思える。この頃はまだ、社会に出るということが、こんなに大変なことだとは思いもしなかった。理想もあったし、夢もあった。今は・・・どうだろう。

 ブブブ・・・また写真が出てきた。今度はあなたが取引先と交渉している写真だ。何だこれは。一体いつ、誰がこんな写真を撮ったんだろう。それにこれは、実家から送られているんじゃなさそうだ。だとしたら、一体誰が・・・。

 ブブブ・・・また写真だ。今度は先週の会議中の様子だ。この会議で、今日の資料作りを命じられたんだった。

 いや、待て。何だこれは。この会議中に、写真を撮った奴なんか、いなかったはずだ。ありえない。

 ブブ・・・また写真が出てきた。どんどんペースが速くなっている。今度のは、無人のオフィスで一人、パソコンを操作しているあなただ。ディスプレイの横には、空き缶が2つ、パンの袋が2枚。昼前頃だろうか。

 ブブ・・・次の写真。立ち上がって背伸びをしているあなた。空き缶3つ、空ペット2本、パンの袋数枚。さっきだ。

 ブッ・・・次の写真。プリンタから出てきた紙を手にとって、ヘラヘラしているあなたの写真。

 ・・・椅子座り込んだあなた・・・写真を手に考え込むあなた・・・次の写真を手に取るあなた・・・プリンタから、通常ではありえない速度でどんどん写真が出る。その速度は紙芝居というよりは、むしろアニメーションに近くなっていた。

 カシャ、カシャ、カシャ、カシャ・・・何だこれは!?

 あなたは立ち上がり、プリンタの取り出し口を覗き込んだ。どんどん出てくる。先刻までのあなたの姿が、まるで動画のように再生される。その動画の中で、次々に出てくる紙を手に取リ続けたあなたは、ついに立ち上がって、怪訝な表情でプリンタを覗き込んだ・・・

 これは今だ!今この瞬間だ!そして・・・

 カシャ、カシャ、カシャ・・・あなたは仕事を終え、オフィスを出て自宅に戻り、床に就いた。

 何なんだこれは。これから起こることなのか。背筋に走る寒気をあなたは感じる。

 カシャカシャカシャ・・・翌朝目を覚ましたあなたは、顔を洗ってスーツに着替える。何なんだ。恐ろしい。でも、目をそむけることができない。

 カカカカカカカカ・・・明日の会議の様子。社運をかけた一大プロジェクト。あなたが作った資料を手に、重役にプレゼンを行う上司。どうなってる。頬に冷たい汗が垂れる。

 チチチチチチチチ・・・プロジェクトが始まり、大規模に金と人が動く。CMが流され、社会認知度が上がったその時、プロジェクトの土台となった資料にミスが発覚、会社は取引先に詐欺で告発され、株価は暴落。

 それを見ている今のあなたは、ごくりと生唾を飲み下す。これは・・・

 動画の中では、件の資料を作ったあなたが責任を問われ職を失い、賠償を請求され、多額の借金を抱え、酒びたりになり、友人を失い、家を失い、両親も実家も失い、そして、このビルの屋上にたたずみ、靴を脱ぎ揃え・・・

 「や・・・やめろ・・・」
現実のあなたは思わず声に出していた。

 ・・・両手を合わせ、涙を伝わせながら、動画のあなたはふらっと、地上へ向けて身を投げ出した。はらはらと木の葉のように回転しながらあなたは落下し、そして地面へ・・・

 「やめろーーーーっ!!!」
現実のあなたは叫んだ。目を剥き、髪をくしゃくしゃにしながら頭を抱え、その場にへたり込む。

 ・・・と、プリンタが急に止まり、最後に一枚だけ、血のように真っ赤な文字の書かれた黒い紙が、ペッと吐き出されるように出力された。我に返ったあなたは、震える手でその紙を引っ掴む。

『地獄へようこそ ~サタンより~』

「わああああああああああ!!!」
あなたは再び半狂乱になって、その紙をびりびりに破り辺りにバラ撒く。髪を振り乱し、よだれを垂らしながら立ち上がり、靴の足でその紙くずをぐりぐりと踏みつけ、言葉とも叫びともつかない声でわめき散らす。

 ひとしきり暴れた後、やがてあなたはがくりと両膝を折り、そして冷たい床の上にどうと倒れ込んだ。はぁ、はぁという自分の荒い息遣いだけが、無人のオフィスに響くのが聞こえる。あなたは目を閉じ、一体今、何が起こっているのか、必死に頭を動かそうと、最後の抵抗を試みる。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 気が付くと、真っ暗なオフィスの床で一人、あなたは大の字になって横たわっていた。身体を起こし頭を振る。眠っていたのか。時計を見ると、2時間ほど経過しているようだ。そういえば・・・プリンタのほうを見る。さっき見た写真や大量の紙はそこにはなく、ただ一枚、あなたが出力したグラフがそこにあった。

 あなたはフラフラと立ち上がり、照明をつけてグラフの紙に目を通す。そして・・・

 あ、違う、この数字。

 どうやら、土台とする数字が一箇所だけ間違っていたようだ。ごくごく小さなフォントで書かれているため、注意深く見ないと、きっと気付かなかったろう。
 だが、このミスが致命的な欠陥を資料全体に及ぼしており、グラフそのものがおかしくなっている。もし気付かなかったら、そのまま・・・

 そこであなたは、はっと顔を上げた。
 あの時見た一連の未来は・・・失業、破産、没落、自殺・・・あなたの身にこの後起こるはずだったことが、フラッシュバックとなって脳裏に蘇る。

 いや、まさか。あれは夢だったんだ。
 肩をすくめたあなたはデスクに戻り、4本目の缶コーヒーを開けると、資料の修正に取り掛かった。半端でない修正の量からして、おそらく今日は終電にも間に合わないだろう。だが、今のあなたにはさほど苦痛ではなかった。

 さっきの結末に比べたら、なんでもない。



「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)