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ペットの癒しと支配への忌避 405-20240228

息抜きにペットたちがかわいい様子が収められた動画を眺めているときがあります。

とはいえ、なぜそのような動画を見てしまうのかというところに手を打つべきなのかもしれません。つまりはストレスとか癒しが少ないとか。でも癒しを得られていることを喜ぶべきなのか。

見ているといろいろ疑問が湧いてくることがあります。その一つが、なぜ、ペットの所有者、飼い主は、子どもに接する様にペットたちに接することが多いのか。とかですね。

無意識にそうなっちゃうのか、文化的に刷り込まれているのか、DNAに刻まれているのかよくわかりませんけど、つまり自分たちよりパワーバランス上で差異があって、それが下の方にあるという認識を持ってるから、そういうふうになるんじゃないのかな、という仮説を持ってみています。けど、どうなんでしょう。

でも実際、大人の動物たちは大人の動物ですから、小型犬などはまだしも、巨大な大型犬や、熊とかヒョウとかもペットにしている人が出てきますけど、それらは常に人間よりも高い殺傷能力、相手を力で屈服させる能力が強いということもあります。

そうすると、自分たちには本当は人間を支配する力が備わっているけど、人間の方がそれを知っていて、コントロールしている状態にあると解釈できますよね。特に犬なんかは、凶暴性をうまくコントロールすることで警察犬など人間を助ける役割を与えられている個体もいるわけですが、そのときも警察側には牙を向かないように訓練されているんですよね。

人間と同じように、動物の側も相手によって柔軟にコミュニケーションの方法を変えることができるわけです。それを人間は知っているから、成長の過程でそのことを、自分は下だと思わせる。主人がいるということを身につけさせる。そうして支配する。

と、支配とかいうとすごく暴力的な感じですよね。でも実際ペットを飼うということは生殺与奪を握るということだし、ある意味では保護、個体の幸せという文脈もあるかもしれませんが、やっぱりそこには暴力の関係が存在するのではないかと思ってしまい、なんだかモニョります。

ペットの側からすれば、従うことに利益がある(食いっぱぐれる心配がない)ということなんでしょうけど。もしそうでなければ、従う理由がなくなるので野生に生きればいい。野生が残っていればの話ですが。

うーん。以上です。


#10分間日記 #毎日更新 #エッセイ #随筆

※TOP画像はDALL-Eで作成しています。

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