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1978年“以前”の「口裂け女」を追跡!/吉田悠軌・オカルト探偵

約40年前、日本中を恐怖させた怪女「口裂け女」。その噂は78年の岐阜で生まれ、79年前半に全国へ広まった……というのが定説だったが、探偵はこれを覆す重要な証言を入手。調査の結果「79年起源説」に大幅な修正を迫る情報が次々と明らかになった。
本誌発売に先行公開したレポートに続いて、「口裂け女」ルーツ追跡編がスタート!

文=吉田悠軌 #オカルト探偵

口裂け女の起源をゆるがす大発見!

「1978年の夏、地元の埼玉県毛呂山町で、『口裂け女』の噂が流行ったんですよ」
 いつものように、ネット通話にて怪談取材をしていたときのこと。本筋と関係ない世間話をしているうち、情報提供者K氏から、そんな情報がふと漏れた。
「いや、それは1979年です」私はとっさに訂正した。

「口裂け女」の噂は、79年の前半に日本全国で大流行し、メディアも大きくとりあげる社会現象となった(以下、「大流行」と記す)。これより以前に口裂け女の噂はなく、もし早い時期の発生があるとすれば、震源地である岐阜県だけ。実際、メディア初報道とされる「名古屋タイムズ」では、78年10月ころから岐阜県内で噂が広まったと伝えている(※1)。

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「名古屋タイムズ」1979年1月22日より、口裂け女出現を報じた記事。これまでの定説では、こちらが「口裂け女」報道の初出となる(※同記事にて、地元タウン誌で噂が取り上げられたことに触れてはいるが、当該資料は発行元からも失われている)。

 もっとも、岐阜県内のどこでいつ発生したかについては諸説紛々している。先述の「名古屋タイムズ」に10月時点で噂が広まっていたと記されているのに、なぜかそれより遅い「78年12月、八百津町での発祥説」が一般に支持されているのも、元祖をめぐる混乱のひとつだ。
 この点については、79年の口裂け女騒動を手早くまとめた「週刊朝日」3月・6月両記事がよく参照元になっているためだろう。同記事では、岐阜から関西方面(と長野県・長崎県)へ噂が流出したのが78年末と捉えているが、この「他エリアへの流出」と「発生」が、ネットや一般メディアでは混同されがちだ(※2)。

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