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ドラッカーは、われわれリハ専門職をどのように捉えていたか

本noteは、P.F.ドラッカー(著)、上田惇生(訳)のネクスト・ソサエティ-歴史的に見たことのない未来がはじまる-(ダイヤモンド社)からヒントを得ている。この書籍は2002年発行なので、今から20年以上も前のドラッカーの視点である。

われわれリハ専門職は、テクノロジストに区分される。区分は他に、肉体労働者や知識労働者がある。テクノロジストは新種の知識労働者として区分されており、仕事に体は使っても、報酬は学校教育で得た知識によって決まる職種を指す。
 テクノロジストには、われわれリハ専門職やX線技師、超音波技師、精神科ケースワーカー、歯科技工士などの医療テクノロジストの他に、コンピューター、製造、教育のテクノロジスト、事務テクノロジストがある。事務テクノロジストには、マネジメントに腕を振うものも含まれる。つまり私は、作業療法士という医療テクノロジストから、組織マネジメントを担う部門の事務テクノロジストに転職した一人である。

知識労働者の特質は、自らを労働者ではなく専門家とみなすことにある。したがって、知識労働者には2つのものが不可欠とされている。それは、「知識を身につけるための学校教育」と、「知識労働者としての知識を最新に保つための継続教育」である。
 知識労働者が自覚すべきは、知識は急速に陳腐化するということである。したがって、専門家である知識労働者が知識労働者として主張するためには、「陳腐化する知識を最新に保つことができていることが前提」となる。

一方、ドラッカーは、知識労働者のお金に対する考え方について、以下のように述べている。

知識労働者にとっても、他のあらゆる人間にとってと同様、金は重要である。しかし、彼らは金を絶対的な価値とはしない。自らの成果や自己実現の代替とは認めない。仕事が生計の資だった肉体労働者と違い、知識労働者にとって仕事は生きがいである。

P.F.ドラッカー 著,上田惇生 訳(2002)「ネクスト・ソサエティ-歴史的に見たことのない未来がはじまる-」p26,ダイヤモンド社

給料が増えないから勉強しないと主張するリハ専門職を散見する。これに対し、勉強しないリハ専門職が悪いという指摘や、勉強したい人だけすれば良く、そのためにどうすべきかという議論もある。
 確かに、勉強しないからといって給料を減らされたり、勉強したからといって給料が増える組織はないかもしれない。しかし、リハ専門職は知識労働者の新種であるということ。知識労働者は専門家として、陳腐化する知識を最新に保つことが求められること。組織は専門的サービスを提供する組織として自認し、そのために専門家であるリハ専門職と契約していることを考えると、「まずは組織がリハ専門職に対して専門家として求める水準を示す必要があるではないか」と感じている。

他方、知識労働者は自らの専門分野で高度の流動性を持つとされている。それは、同じ職場にいる他の分野の者よりも、他の職場にいる同じ分野の者との繋がりが強いため、職場が変わることに抵抗感があまりないことに由来する。したがって、知識労働者に対して職場への帰属意識を求めるのはほとんど無益であるとドラッカーは断言している。
 厚生労働省による「令和3年(2021年)産業別離職率」を見ると、医療・福祉の離職率は13.5%である。建設業や運輸業などの肉体労働者の割合が多いことが推測される産業の離職率が9%台であることと比較すると、ドラッカーの解釈に一定の説得力があるようにも感じる。

以上、20年以上前にドラッカーはわれわれリハ専門職をどのように捉えていたかを抜粋し、端的に整理した。
 リハ専門職は新種の知識労働者であること。知識労働者であり続けるためには、陳腐化する知識をアップデートし続ける必要があること。そして、知識労働者は職場に帰属しにくい特性があること。これが、ドラッカーが捉えていた、われわれリハ専門職である。

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