「それが普通=健全」ということではない

ここ数回は情報、人、モノなどあらゆる事象に対する「識別力」についての考えを書いてきました。私たちが特に陥りやすいのは、以前に世に遍く「人気者信仰」の危うさという記事にも書いたような、「人気があるもの、有名なものは素晴らしい」という錯覚です。自分の頭で考えずに、人気があるからとかみんなが良いと言っているから、と言った理由であらゆるものごとを判断してしまいます。私自身もそういった節はあり、人気なんていかようにでも操作できるとわかりつつも、ランキングやレビューなどを参考にすることもあります。

人気者信仰と並んで危険だなと思うのが、「それが普通=健全」という考え方です。「みんながそうだから、それが健全である」と思いがちなのですが、大衆の大多数がそうであるからそれが健全であるとは限りません。「大多数が不健全状態である」という可能性もあります。たとえば、ある血液検査などの数値で基準値いくら、という指標がありますね。医療のことは詳しくはありませんが、人々の平均的な値を基準値とする指標もあるのではないかと思っています。その平均的な値が健全な値かどうかは別問題で、現代の食生活をしている日本人は高すぎる(低すぎる)この値になってしまっている、といったようなことも考えられます。日本人全体が不健全状態、ということも十分あり得ます。

日本では出る杭にならず、社会に適合することをよしとする風潮が強く、少しでも社会に適応できなかったりすると、「適応障害」という病名をつけられたり、不登校や引きこもり、ニートを「問題のある人」扱いしたりします。しかし、これもものの見方ひとつで、不健全な社会に適応している人の方が不健全で、適応できない人の方がある意味真っ当な感覚を持って生きている人なのではないかという風にも見えます。私はどちらかというと適応できていないはみ出し者ですが(笑)、徐々にこちら側の勢力が勢いを増しているように見えるし、健全・不健全も、メジャー・マイノリティも逆転する可能性はあると見ています。無理に社会に適応して社畜状態で生きている方がおかしい、といった風潮の世の中にどんどん変わっていっているのを肌で感じています。

先日ある人と話していた時に性の話になり、現代日本人の性の嗜好はあまりにも狂っているのではないかと話していました。私は以前から性教育については相当問題視しており、誤った性教育が世の中にあらゆる歪みを生んでいることは間違いないと確信しています。世にあふれる不健全な性の漫画、ビデオなどの描写を「それが普通、当たり前」と思って実際に女性に不適切な行為をしてしまう人は多々いるようですし、女性を単なる性欲処理の道具としか見ないような価値観というのは不健全極まりないと思います。そういった性の描写ばかりを見させられてきた現代の日本人男性の感覚からすると、「それが普通、当たり前」になっているかもしれませんが、それを「健全である」とは絶対に言えません。性のあり方こそ、「社会全体の普通=不健全」である典型的な例だと思います。

人気だからとか、それが普通で当たり前だからということにとらわれてしまうと、「識別力」は磨かれないし、むしろ判断が鈍ってしまうように思います。あらゆる洗脳から解けてきて、私たちがいかに世の「普通、当たり前」にだまされ、翻弄されて生きているかというのを思い知りました。いつも言っている待機児童の例にしても、こんなにも多くの人が1歳から保育園に子どもを預ける社会というのは不健全だと思っています。現状の多くの人のあり方はどうとかいうことはさておき、一人一人が本来的・本質的にどうあればいいとか、何が健全かということを考えられるようになると良いのではないかと思います。

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