理念は「平等」、しかし性差は超えられない

前回まで、教育や大学進学について思うところを書いてきました。大学全入時代と言われて久しいですが、大学進学率のデータを見てみると確かに年々上昇していて、特に女性の大学進学率はここ数十年で急激に増加しています。私が大学に入るころのH18年には約40%、最新のデータでは約48%と、半数近くにも上っているようです(参考:平成29年版男女共同参画白書 概要版 )。女性が高い教育を受けられなかった時代から、女性でも当たり前に大学に進学できる時代になったことは、とても大きな変化のように思います。

そのことが関係しているかはわかりませんが、私くらいの世代(30歳くらい)の感覚だと、「男女平等」というのは理念として当たり前で、男尊女卑とか、女性蔑視といった言葉があまりピンとこない部分があります。幼少期から男女ともに同じように同じ環境で育ってきているので、「男はこう、女はこう」といった昔ながらの役割についても疑問を感じることが多いのかもしれません。若い世代ほど、男女は平等、対等であるという意識が強いのではないかと、感覚的に思います。実際に私も「女のくせに」「女性なんだからこうしろ」的な目で見られたり、言われたような経験はないなぁと感じます。公務員だったからでしょうか。

男性も女性も同じように教育を受けて、同じように大学に進学し、同じように就職活動に励むのですが、年齢を重ねて結婚や出産といったイベントが近づくほど、無視できない「性差」に直面するようになります。それまでは基本的に「男女平等」だったのですが、社会に出て働くということになると、女性にはいろいろな制約があり、男性とまったく同じように働くことは難しいということを実感するのではないでしょうか。人間を「労働力」「コマ」として考えた時に、女性が男性と対等に扱われることは、現実あまりないでしょうからね。

理念上での「男女平等」が浸透している世代なので、仕事も家事も育児も平等に、という気持ちが女性の中に広くあるのではないかと感じます。「男は仕事、女は家庭」といった考え方は「古い」と言われます。今はそういう時代じゃない、と。それでも私はどうしても、なんでもかんでも「平等」には無理があると感じざるを得ないし、生物的な「性差」はしっかり受け入れた上で、男女がお互いに敬意を持って社会生活を営めるような社会にした方が良いのではないかと感じてしまいます。

今の資本主義社会というのは基本的に「競争競争!売上売上!」という弱肉強食思想、男性性が強い性質があり、そこに無理やり女性が適応しようとしてもなかなか苦しいものがあります。資本主義社会で働くという意味において、「男女平等」というのは現実的にはあり得ないことという気がしてなりません。社会で仕事をする方が優れていて、家庭で家事・育児をするのは劣っている?そんなはずありません。「男尊女卑」を脱し「男女平等」を実現しようと女性の社会進出が進んだ結果、本来女性が得意とする家事・育児を面倒なものと軽視する傾向が強まってしまったのでしょうか。昨今の働く女性と子育て問題などを見ていると、大学進学率の男女差がなくなってきた頃の世代が今そのくらいの年頃になって、「平等でない」ということに対する反発心が噴出しているのではないかなと感じます。

「男は仕事、女は家庭」というのは「古い」し、押しつけがましい観念と言われてしまうのも納得する部分はあります。教育が男女平等になったことに関連してなのか、大人になるまであまり「性差」を感じる機会はありませんでした。今の世の中は全体的に心に余裕がなく、殺伐としたものを感じます。それは、仕事や働くことに重きが置かれすぎていて、家庭を守ることや家族の絆を大切にすることが軽視されていることにも原因があると思います。現代は女性が蔑視されているのではなく、「女性性・女性が得意なこと」が軽視されている時代と言えるのではないでしょうか。男女がお互いに理解し助け合い、それぞれの領域で輝くことが、本当の意味での「男女平等」と言えるのかもしれませんね。

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