他人からは「苦行」、本人は「喜び」

(特に夫婦や親子などの)親しい人間関係を円滑にしていくためにはどうしたらいいだろうか、と考える日々の続きです。前回は相手をただ観て、観察することという記事に、相手を主観的に観てあーだこうだと判断せずに、ありのままに観ることが大切だ(けどなかなか難しい)という話を書きました。生きていくとどうしても自分とタイプの異なる人、価値観や思想が違う人とも一緒に生きていかなければならないのですが、どうしても自分スタンダードに生きてしまうと他人のことを受け入れることができず、拒絶したり、否定したり、批判したりしてしまって、不仲や仲違いの原因になることが多いと思います。

私自身は、内面、精神面で自分を磨き、研ぎ澄ませていくことについては結構ストイックなところがあると感じており(笑)、他人からは「生きづらそう」と思われることも多いようです。「みんながみんな人格者とか聖者みたいになれないし目指すこともないんだから、そんなにストイックに生きなくていいんじゃないの?」と親しい人には思われていそうです(笑)。それでも自分としてはそうして内面を見つめていく作業や、未熟なところ、至らないところを見つけては深く潜って磨いていく…といった繰り返しを止めることはできないし、何かに気づいたその後の変化が目に見えて現れるので、楽しくて仕方がなくてやってるんですよね。親しい人には「今からちょっと潜るわ…」と言って自分の世界に入ってしまうこともあります(笑)。超内向型人間です。

以前は食べ物について厳しく制限したりもしていました。「○○日間、できるだけ砂糖を抜く」とか「小麦を食べない」とか、結構やってましたね。周りから見ると、そんなに厳しくやらなくても~と思われていたかもしれませんが、それもそうすると身体の変化が目に見えてわかるのが楽しいので、人体実験のつもりでやっていました。同居中の母親はとても食いしん坊で、太っていてダイエットするとか言いながらも食べ物を制限できないらしく、その腹いせなのか知りませんが「(娘の私は)あれも食べないこれも食べない…(怒)」的な感じでイライラをぶつけてくるときもあります(笑)。できない人には本当に難しいことみたいですね。

精神的なことだったり、食べ物を制限したり、ということについてはストイックにできますが、体力がなく運動嫌いな私は、運動習慣についてはまるで続いたことがありません。「毎日○○kmジョギング!」とか「毎日ヨガ!」とか「毎日○○km自転車通勤!」とか、私にとっては苦痛&苦行でしかないのですが、おそらくそういう方の中には好きで楽しくてやっている方もたくさんいらっしゃるのだろうなと思います。また、私から見るとスポーツ選手なんて本当に苦行でしかない職業だと感じるのですが、なりたい人も星の数ほどいて、「あんなに肉体を酷使するなんてよほどの物好きだな…」と思ってしまいますね(笑)。自分の価値観で見ると苦行にしか思えないので「それはやりすぎだよ、やめときなよ、休みなよ」と言いたくなってしまう時もあるけれども、本人にとっては楽しくて喜びということも多々あるので、あんまり他人が口を挟むことではないよなと感じたりもします。

もし、本人の取り組む何かが行き過ぎたものであって、本人のためにならないレベルまでに至ってしまった場合は、私などの他人が口を挟まなくても、もっと大きな流れの中でそのことができなくなる状況が訪れるものだと思っています。病気やけが、その他アクシデントなどは、そんな行き過ぎた何かをストップさせてくれるサインですよね。他人にとやかく言われたところで人は変わらないし(うっとおしいだけ)、「あれはやりすぎだったな」と本人が自分で気づかない限りは考えや行動を改めたりはしないものです。身の周りに「それはやりすぎじゃない?苦しいんじゃない?」と思うようなことをしている人がいたとしても、本人にとってはそれが喜びかもしれないし、どうしてもやりすぎなら大きな何かからのストップ入るしなので、その人自身をありのままに観て、何も言わず受け入れていくのが人間関係円満のコツなのかなと思いました。

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