自己犠牲×他人のため=恩着せがましい

昨年あたりから本格的に長時間労働の見直し、働き方改革なるものが少しずつ動き始め、ファミレスの24時間営業見直しや、ノー残業手当を出す会社まで現れました。副業原則OKの動きや同一労働同一賃金など、労働環境が大きく変わりつつある流れを感じています。日本人は「自己犠牲」を美徳とする意識が強く、それは特に中高年より上の世代に顕著だと思います。祖母と同居していた時など、祖母は進んで自己犠牲したがっているように見えて、価値観が合わないものだと子ども・学生ながら感じていました(笑)。親の価値観は子に引き継がれるものなので、戦争を経験した祖父母世代の子ども世代である今の中高年もその考え方が色濃く残っていることと思います。

その考えでいけば中高年世代の子の20~30代世代もその子ども世代も、自己犠牲精神はある程度残り続けるでしょうね。先祖から脈々と続く自己犠牲精神から、私たち一人一人が少しずつ解放されていく必要があると感じます。自己犠牲というのは第3チャクラに関係するテーマで、「被害者意識」にも関係します。被害者意識と自己犠牲精神は同じようなもので、どっちも悲劇のヒロインぶる傾向にありますよね。仕事と子育てを両立しようとするお母さんなどは被害者意識や自己犠牲精神を抱えている方が多そうです。なんで私ばっかり育児も仕事も家事も…私がやればいいんでしょ!という被害者意識と自己犠牲精神、そしてわかってくれない社会や環境、夫、家族を自らの価値観でジャッジし、責めて怒ったりもします。これは第3チャクラに関わる問題でしょうね。

以前から書いているように、第3チャクラはおなかのあたりにあり、「胃」と関係が深いです。たくさん食べるとお腹いっぱいになり、満たされます。「胃」は「満足感」「充足感」に関係があり、いつも自分ばっかり…という被害者意識と自己犠牲精神を抱えていると、「不満」を抱え、食べ過ぎてしまったり胃の病気になったりします。いつも人生に不満を抱えている人というのは、それはもうパターンなんですよね。幼いころにお母さんにかまってもらえなくて孤独だったり、満たされない気持ちを抱えがちだった人などは、その傷が「不満」のパターンとして残ることがあるんですね。幼いころに親に十分に甘えられなかったりすると、自分が我慢すればいいんだ…という自己犠牲のパターンが生まれやすくなるでしょう。

多くの人が自己犠牲的に生きていると、当然他人に厳しくなりますし、ジャッジしまくり、批判しまくりの社会になりますよね。自分は我慢しているんだからお前も我慢しろ!という謎の言説。以前に「我慢しない」をループするという記事にも同じことを書きました。自己犠牲というのはコントロール欲の裏返しでもあります。親子の支配関係でよくありがちなのは、親の自分は我慢しているのだから…とかあなたのために○○してあげた…という恩着せがましい態度により、子を思い通りにしようとする、というパターン。自分が勝手に自己犠牲精神で生きているだけなのに、それを他人にも押し付けようとしたり、それによって他人を思い通りに動かそうとしたりするというのは、第3チャクラのエネルギーの逸脱が関係しています。

自分を犠牲にして誰かのために○○する、というのは全くもって逆効果でしかないでしょう。誰しも人の役に立ちたいという気持ちはあり、感謝されたらうれしいものです。「人の役に立ちたい」はエゴなのか?という記事にもそのことを書いています。ただ、それは自分が満たされてはじめてそれができるようになるということでもあります。不満を抱えながら働いていると、「本質的に、根本的に」人の役に立って感謝されることは難しいのです。自分がすごくやりたいことで、そのためにものすごい労力を使って完成させた何かが人の役に立ったらそれは嬉しいでしょうし、苦労したかいがあると感じるでしょう。ただ、自分は犠牲者だ…被害者だ…と思いながら嫌々働いていると、どうしても恩着せがましくなるし、他人を責めたくなったりするものです。それは職場でも家庭でも友人関係でもそうです。まずは自分を満たさない限り、「他人のために」は本格始動しないんですよね。第3チャクラも奥が深くてなかなか終わりが見えませんが(笑)、これからも「自分と自分」についてもう少し見つめ直してみようと思います。

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?