明日死んでも本当に悔いがない人生を

怒涛の4日間の学びが終わり秋分の日を迎え、今日からまた生まれ変わったような感じです。人生は「破壊と再生」の繰り返しの記事にも書きましたが、やはり生まれ変わるほどの大きな変容の前には破壊が必要ですし、今までに蓄積されたいろんなもの(物質、意識とも)を捨てなければならなかったのだなとつくづく感じます。私の世界で起こる現実を変容させるためには、まずは意識からなので、これから徐々に現実も動いていくのだろうなと確信します。

私たち現代人の寿命は長くて90歳くらいで、健康寿命ということになるともっと短くなりますよね。もうすぐ29歳になるので一般的な定年である60歳まででもあと30年くらいです。これを長いとみるか短いと見るかは人それぞれだと思いますが、私はものすごく短いと感じています。それまでの間に事故に遭ったり病気になったりする可能性もあるので、今こうして普通に出歩けて、やりたいことは何でもできる健康な身体があるということは本当にありがたいことです。ちょっとしたことで不調になるがゆえに、若いうちから健康の大切さ、なぜ病気になるのかということを学んできましたが、やはり病気になってからでは遅いと思うのです。日頃の健康管理、予防医学という考え方は非常に重要で、膨大な医療費を削減するためにも、一人一人の意識を変えていく必要性を感じています。国に医療費をなんとかせよと要求する前に、一人一人が予防医学に関心を向ければいいのに、と思っています。

この今肉体を持って生きている人生をどのようにとらえるかによって、意識が変わり、行動も変わってくるのだということが非常に腑に落ちてきました。残りの30年をただ漠然とやりたくもない仕事で神経をすり減らして生きていくのか、一日一日、一瞬一瞬の重みをかみしめて生きていくのか、それによって人生の充実度、満足度は大きく変わるでしょう。自分のことを本当に大切にして、かけがえのない存在だと思えれば、そんな大切な自分にやりたくない仕事をさせ続けることはしませんよね。この「破壊と再生」期間を経て、誰にも何にも遠慮することなく、自信を持って自分の人生を生きる覚悟みたいなものができたような感覚です。

ある講座の中で「今日死ぬとしたらどんなことに後悔しそうですか?やり残したことはありますか?」と聞かれ、あれやこれや、やり残したことあるなぁ…としみじみ思いました。日々、瞬間瞬間を楽しんでいるつもりでも、それでも今日死んでしまったらまだやり残したと感じることはあります。それをやるまでは死ねない!と思いましたし、その感覚が上記の健康への意識の高まりにもつながりました。肉体、心、魂を癒し続け、自分を良い状態に保つことへの意識づけが、さらに強固なものとなりましたね。

なんとなく日々を過ごしていると、明日がくるのは当たり前、健康なのは当たり前、と思ってしまって、一日一瞬の大切さに気づけないものです。本当はやりたいことがあるけど先延ばしにしてしまっていたり、言い訳をして目を背けている時間というのは本当にもったいないと感じますし、何かを始めるのに遅すぎるということは絶対にありません。それよりも、明日死んでも本当に後悔しないか?そのことのほうが重要だと思います。最近はあまり感じていなかったのですが、働いていた時(特に辞める直前)は、「本当に時間がないので、さっさと本来の道に進んでください」というメッセージのようなものを非常に感じていて、結果不可抗力により辞め時が早まったということがあったのですが、一日の重みを実感するようになってその意味を痛感するようになりました。いやー、やりたくもない仕事に忙殺されている時間は一分一秒でももったいないと今は感じますね。

とはいえ、予定を詰め詰めにするということではなく、休息やぼーっとする時間は本当に大切で、そういう時間を取ることを含めて自分を大切に、一瞬一瞬を大切にということです。自分のために時間を使おう、自分が心地良いと感じる時間でいっぱいにしよう、と改めて決意しました。そこに遠慮はいらなかったんですね。とにかく明日死んでも後悔のない人生を歩めるよう、日々全力で、精いっぱい生きていきたいと感じる生まれ変わり第一日目でした。

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