スピリチュアルとビジネスは相容れない

ここのところずっと、この世のしくみから始まり、資本主義や陰謀論系、古代の歴史、宗教や思想などを勉強していると書いていますが、本当のところを知れば知るほど、スピリチュアルとビジネスというのは相容れない概念だということを痛感するようになりました。スピリチュアルと一言で言っても様々な受け取り方、概念があるので一概には言えないのかもしれませんが、一般に言うスピリチュアルな精神世界のことや霊的次元のことで利益を出していくというのは、その思想からして矛盾をはらんでいるような気がしてなりません。

宗教の歴史などを学ぶと、本当にこの世の中がめちゃくちゃであるということがよくわかるのですが、特に宗教と欲望(権力欲、支配欲、金欲等)が結びつくことにより宗教が堕落していくというケースが多く、それって現代的に言えばスピリチュアルとビジネスが結びつくということと同じかなと思いました。エゴ・我欲とハート・愛というのは相反する概念で、一方が高いと一方が下がるような構造になっています。そのことは感覚的にわかるかなと思います。自分の利益ばかり考えている人に愛がないというのは身のまわりを見ても明らかですよね。もし世の中にスピリチュアルな仕事というものがあるとすれば、それは人々のエゴ・我欲をなくし、ハート・愛の意識に目覚めさせるようなものでなければならないと思うのですが、それを仕事にする当本人がエゴ・我欲まるだしというケースは本当に多いです。存在が自己矛盾的だなと思うことが多々あります。

私自身もそういったスピリチュアル的な思想に洗脳され、毒されていたと思う部分がありました。特にサービスやカウンセリング、講座の価格などについては、どこのサロンやスクールも結構高いなぁと思うものが多いと感じます。スピリチュアル界全体に「セルフイメージを高めればそれだけの対価を受け取って良い」といった思想があるように感じますが、今は「それはどうだろう?」と疑問に感じることもあります。単価を高額にして価値があると思わせて、洗脳させてカモにして、ちょっとお客さんが来たら「月商7桁」と自慢したりする(さすがにそんな下品な人はあんまりいないか)…セルフイメージとか自信とかじゃなくて、ただそんな価値のないものに高額の値付けをしているだけじゃないの?と思ってしまいます。

とはいえ単価を安くすると生活が成り立たないし…ということもあると思うのですが、にしても高いなぁと思うことが多いです。「お金持ちになっても良いと自分に許可しましょう」的な思想もありますが、その考えは本来のスピリチュアルとは逆行しているような気がします。むしろ、お金持ちに憧れない、本当に心が愛で満たされて平和である状態に近づけるようなサポートをしていくのが本筋だと思うんですよね。「豊かさ」という言葉もよく耳にしますが、スピリチュアル界も物質的なレベルでの豊かさの概念から抜け出せていないような感覚はすごくありますね。まぁそれは昨今のスピブームが悪魔系から端を発していることからも明らかなのですが。

以前からカウンセリングサービスをやっていきたいなぁと漠然と思っていましたが、もし始めるとしても良心的な価格設定にしようと考えを改めるようになりました。たくさん人数を受けたくないから料金を上げるとか「それに価値を感じて払う人がいるならいい」という意見もあるかとは思いますし、考えは人それぞれかとは思うのですが、とはいえあまりにも高額なものはやはりおかしいですし、悪魔に憑りつかれたニセモノと言っていいと思います。信者は自分が価値のないものに高額を払ったことを認めたがらないので、肯定することが多いです。その方が本当に愛にあふれた、エゴからハートの意識に目覚めさせてくれる良心的な人なのか、よ~く見分けていく必要があると感じます。

5月27日(土)オフ会やります~→オフ会・イベント情報

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?