心の平安を保つためにはどう生きる?

この世の支配層の思惑を知るようになると、彼らが明らかに戦争をしたがっているのだということがよくわかります。意識やエネルギーの学びを深めていくと、彼らが最も欲しているものは、私たち庶民の感情の乱れ、敵対感情、対立といった、愛とはかけ離れた意識や思想であるということもわかります。あえてある国に対する敵対感情を高めさせたり、男女を対立させたり、夫婦や親子関係を破壊させたり、人々を比較させるような概念や勝ち負けを良しとする思想を植え付けたりして、日々私たちの感情を乱そうと努力しています。

スピ系のブログや当ブログでも書いてきましたが、外の世界は内側の世界の内面の投影であり、個人の意識は個人レベルの人生に投影され、集合無意識は社会全体に投影されるものだと思います。よく言われるように、本当に戦争を起こしたくないのであれば、私たち一人一人が内面をよく見つめ、心の平安を保つようにしなければならないと感じますし、それが一見意味のないように見えて一番根本的な解決策になります。おそらくほとんどの善良な一般庶民は戦争を望んではいないと思うのですが、一人一人の内面の平安と外の世界の平和がリンクしていることを意識的に生活している人というのはほとんどいないのではないでしょうか。

とはいえ、私自身も「何者かにならなければ」と思っていた時は心が乱れることもあり、愛とはかけ離れた状態になってしまうことも多々ありました。「成功を目指さない」という幸せという記事を書いた辺りがターニングポイントとなり、本当に何も目指さなくていいんだと腑に落としてからは、日常の中で心が乱れることが格段と減り、他人と何かを比較することもなく、心が非常に安定するようになったんですね。すごく気持ち的に落ち着いていて、これが俗にいう「ありのままでいい」とかいう感覚なのだろうかと思ったりしています。これはこの世で何かを成し遂げよう、結果を残そう、他人に評価されようという思想を握りしめている限りは得られない感覚だろうと思います。

今の私は価値観が大きく変わったので、この世で三次元的に何かを成し遂げたり、他人に評価されるようなことをしようとするのではなく、「いかに心の平安を保って生きるか」というところをある種の目標というか指針にするようになりました。それが私自身が望んでいる平和な社会であったり、人々とともに豊かに生きる社会であったりといった理想に近づくための、遠回りなようでいて一番の近道であるということに気づいたからです。そして実際にそれをやろうとしてみると、結構難しいということに気づきます。俗にいうこの世での「成功」や「名声」といったものを得るよりも、常に心の平安を保つということの方がよほど難しいのではないかと思ったりもします。

私たちの心を苦しめるのは、大抵は他人との比較による自己嫌悪や嫉妬心、優越感、怒り、悔しさなどではないでしょうか。私自身はあまりスポーツや各種の賞や大会といったものに興味がなく、関わりもなく過ごしてきましたが、勝敗や順位づけといったものはまさに上記のような感情を生み出しやすいものですし、私たちの心を乱す概念だなと感じます。世の中全体が比較や勝ち負けの渦に巻き込まれ、それがひいては争いや戦争につながる感情を生み出しているのですね。自分の経験で言うと、小学校から受験三昧なので学力の比較概念にはかなりさらされてきていて、そこで身につけてしまったパターンにはひどく苦しめられました。一人一人が自分の内面を見つめ、心の平安を第一に人生を歩むようになったとしたら、絶対に戦争は回避できるはずです。戦争反対と言いながら、意識の上ではそれに加担してしまっているという状況を認識できる人が増えると良いなと思います。

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