「将来の不安」を本当の意味で軽減するために

スピリチュアルな世界ではよく「その行動の動機は愛ですか、恐れですか?」といったような問いかけを見かけることがあります。多くの人は日々「恐れ」を動機として働いたり、行動をしているのではないでしょうか。食べていくためには働かなくてはならない、将来の不安があるので働かなくてはならない…どれもこれも「恐れ」をベースとした行動です。その仕事、行動、行為に愛があるかどうか、愛をもって仕事をしているかどうかといったことには関心すら向けないような世の中になっていると思います。とにかく将来に漠然とした不安を抱えている方がほとんどですよね。

「将来の不安」って一体何なんでしょうね?上記のように、生計を立てることを「食べていく」と言ったりもしますが、要は食べ物、水、エネルギーと住むところがあるかどうかというのがその根本的な不安の種かと思います。そういった意味では自給自足できるようになれば「将来の不安」というものはものすごく減るし、無理に働かなくても生きていくのには困らなくなると思います。そんなこともあって以前の記事にも書きましたが(何の記事かは忘れました)、安全な野菜を確保すること、水の浄化方法を学ぶこと(きれいな水の確保)、フリーエネルギーを学ぶことは、自分の身を守り、将来の不安を軽減するためにもやっておくといいのかなと思ったりもしています。

私自身は都会でしか暮らしたことがないもやしっ子なので、身近に農風景がある生活…といったものは想像ができないし、実際にできるものなんだろうか…と思ってしまうのですが、将来的にはそういった生活に移行したいなと漠然と思っています。都会で暮らすというのは、身近に畑(食べ物)がないという点で非常にリスキーだと感じます。日本の食料自給率が低い問題については以前にも書いたことがありますが、そんな日本の中でも一番問題なのが都会ですよね。都会暮らしが不安に満ちているのは、自然と切り離されていて、いつでも食べ物が得られるという安心感がないというのも一つの原因かと思います。いくらお金を持っていても、いつ経済破たんが起きてお金がただの紙切れ同然になるかというのは誰にもわかりませんからね。不安だからと今を犠牲にして貯金をしたり保険をかけたりするのであれば、郊外に畑を借りてみるとか、まずは家庭菜園からやってみるとか、そういった方向性の方がのちのち本当に役に立つのではないかと思います。一方で自分が都会育ちなので都会は都会の良さや楽しさがあるのはよーくわかっています。ただ、それは常に不安と隣り合わせで、心身を病みやすいというリスクを伴うものでもあり、どちらも一長一短だなとつくづく思います。

前回の必要性と利益主義の歪みがもたらしたものという記事で紹介した2冊の本にも、「自給自足」というのは大きなテーマとして書かれているようです。昨今ではブロックチェーン、仮想通貨、地域通貨についても大きな話題となっていて、その技術革新の流れの中でも「自給自足」について語られる場面も見られるようになりました。お金というのはいくら貯めても、これで満足という基準が全くわからないもので、その感覚は公務員時代に痛いほど味わっています。当時は実家暮らしでお酒も飲まず、洋服ぐらいしか買っていなかったので結構貯金はあったのですが、通帳の残高が増えてもいつまでも安心できませんでした。多くの方は「将来の不安」はお金を貯めることで軽減されると思い込んでいるようですが、よーくよーく考えると実は幻想であることがわかると思います。経済破たんがまだ起こっていないうちに、できる対策はうっていきたいところです。とりあえず今できる第一歩として、父の実家の空き家(庭付き一戸建て)を片づけてちょっとした菜園スペースでも持てないものかなと考えています。

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