「ハート」はお金では買えない

「数の呪縛」から徐々に解き放たれつつあるここ数週間。「数」の幻想をとらえ直すことで気づくことがたくさんありました。私は以前から、「数」を追い求めることについては非常に疑問に思うところがあり、自動ツールにより形骸化した「いいね」系反応の記事などにも、似たようなことを書いていました。この記事にも書いていますが、世の中で割と当たり前に使われているいいね系ツールや自動フォローツールなどって、そのサービス(アメブロやインスタ等)全体の不健全化につながるのでできればなくなってほしいんですよね。せっかく「いいね」してくれた、と思ってもそれがツールだった時のガッカリ感。「数」が欲しいあまり、「ハート」のこもっていない機械的な反応をすることを良しとしてしまうという考え方には疑問を感じざるを得ません。

フォロワー数はお金で買おうと思えば買えますし(1人いくらとかで売っている)、数字を操作することは簡単です。フォロワーを1万人買って、なんちゃって「インフルエンサー」になることも可能。「数」はどうにでもなるんです。本当に人気がある人なのか、スパムのようなアカウントばかりにフォローされているのか、数字だけ見たら区別がつきませんからね。こういうことをして虚無感を感じるのは私ではないはずです。多くのnote読者様は「本質的でない」と同意してくれると思います。

「数」はお金で買うことができても、「ハート」はお金で買うことはできません。「ハート」はエゴの計算、数字とは別の次元の領域であり、お金をもらったから、とか頭でいくら考えたところで「ハート」が動くわけではありません。某炎上キュレーションメディアの記事を読んで、「ハート」が動かされた経験がある方はいますか。書き手の思いを感じて意識が変わったり、書いた人と実際に話してみたいと思ったことはありますか。何か文章を読んだり、作品を観て、じーんとしたり心が動かされたりするときは、必ずそこに作り手の思いや情熱を感じているはずです。もし仮に、お金をあげるから良いレビューを書いてくださいと言われて承知して書くことができたとしても、心から良いと思って書くときの文章とは全く違ったものになることは、どなたも想像できるのではないでしょうか。

あらゆる創造物には作り手の思い、情熱、魂、ハートといった目に見えない意識・エネルギーが必ず投影されています。それはすなわち「愛」そのものです。創造物という「モノ」だけではなく、目に見えないサービスにおいても、あらゆる「仕事」と言われるものにおいても同じことが言えます。いかなるジャンルにおいても、そこに「愛」をもっているかどうか、それが「ハート」を動かすということです。どんな仕事であっても、どんな下手な文章でも、どんな下手な芸術でも、そこに「愛」があれば、それに共鳴して「ハート」を動かされる人は必ず現れるでしょう。

フォロワー数が多いことを得意げに語る人、商品の良いレビューを書くように頼む人、影響力の大きい人を思考停止で尊敬する人、良いレビューばかりなら素晴らしいだろうとそれを買う人…世の中にはいろんな方がいらっしゃって、それは意識による生き方の選択なので、どうと言うつもりはありません。ただ、私自身はあらゆる仕事、サービス、文章など…について、「愛」をもって取り組みたいと思っているし、当然のことながらフォロワーやいいねをお金で買うようなことはしません。それは、私のハートからの信念に反することですし、そんな「数」には関心がないからです。私はハートフルな人間関係、心の交流だけを望んでいます。この思いに共感してくださる方、来月もnoteオフ会を開催予定(1月14日か21日辺りを予定)ですので、是非直接お話しできればと思っています。

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?