何事も深刻に考えすぎていないか?

3月はまったりぐでぐで月間なのか、相変わらずぼーっとしつつ、のんびりしつつ、部屋片付けつつの生活を送っています。春分から目覚めるというのに、準備するどころかむしろ「最後にもうちょっと寝させて…」的な状況(笑)。複数のスピ系サイトの情報を見ても、今は混沌・カオスだったり、ぼーっとしたり眠くなったりやる気がなくなったりする時期だとのことだったので、こんな感じですがしっかりと宇宙のエネルギー通りには動いているみたいです。どうしても私たちは勤勉にシャキッとしていることが望ましい、だらだらは怠け者だ!ジャッジしてしまうものですが、それもある種の洗脳とも言えると思います。

私は以前からサンリオのキャラ「ぐでたま」が好きで、アニメを観たり、情報をチェックしたりしています。知らない方のために説明すると、いつも「ねみぃ~」とか「だりぃ~」とか「外に出たくない」とかつぶやいているやる気のないたまごキャラです。やる気ないしだらだらしているけれど、その怠けキャラがいつも許されている感じが人気の秘密なのかなと思っています。どうしても怠惰な自分って、誰の心にもいるはずなのに、無意識レベルで否定してしまったり、罪悪感を感じてしまうことが多いかと思います。人間いつもシャキッとしてはいられないし、思考をフル回転させるよりもぼーっとして宇宙の流れに身を任せた方がよっぽどスムーズに事が運ぶものです。勤勉でシャキッとするのが良い、というのは固定概念で、支配側が人々が宇宙とつながることを妨げるための策略なのかもしれません。

以前から書いているように、この世の中はある種の仮想現実であり、バーチャルリアリティ(これぞVR)の世界なんですよね。地球での生活がすでに仮想現実なのに、さらにVRを創ってみたり、すでに宇宙シナリオがあって生きているのに、お芝居や映画などのストーリーを創って楽しんでみたりと、この世は何重もの仮想現実のマトリョーシカになっています。ぼーっとしているので意識がどこかに飛んで、ものすごく俯瞰して達観した意識になると、「仮想現実なのに深刻になりすぎじゃない?」と感じることがあります。お金の問題とか、誰と誰がどうでこうでとか、○○に勝ちたいとか負けたとか、そんな深刻になる必要ある~?と思ってしまうんですよね。地球での三次元肉体生活を楽しみたいと思ってわざわざやってきたのだから、今の社会的には嫌な経験、辛い経験だったとしても、スピリット的にはそれでも尊い経験なのだなぁと思ったりもします。外の世界のあれこれに振り回されても仕方ないですよね。

私だけではなく多くの方がそうだと思いますが、人間は心配したり不安になったり深刻に考えて悩んだりするのが大得意なので、油断するとすぐそちらの方に向かおうとしてしまうものです。やはりエゴの力は強力で、日々意識をメンテナンスしないとすぐに恐怖に襲われてしまいます。私自身はとてもリスクを恐れるタイプなので、「○○しないように今のうちに△△しとこう」「あらかじめ●●しとこう」といった感じで、未来に起こる不安をつぶすために今行動しようとすることが多いです。そのためにいつまでも準備が終わらなかったり、慎重になりすぎて大胆な行動に出られないこともあります。それも結局心配しすぎで、深刻に考えすぎだからこそ起こることなんですよね。「あとは天に任せよう!」と思えればいいものの、細部までよく確認しないと不安になってしまうのは長年にしみついたパターンです。それでもだいぶアドリブ対応も可能になってきたなとは思いますがね…。

何事も深刻になると緊張して身体がこわばり、リラックスして宇宙の流れに乗るのが難しくなってしまいます。やはりこれもエゴとハートの問題で、宇宙と自分を完全に信頼していれば、深刻になりすぎることもないはずです。深刻に悩みすぎてしまう人ほど、「ま~なんとかなるっしょ~」というぐでたま的ゆるゆる思考が必要なのかもしれません。たまには肩の力を抜いて、ぼーっとしたりぐでーっとしたり、こたつでアイスを食べたりすることを自分に許可し、まったりだらだら過ごしてみる時間も必要ですね。

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