目標設定なんて本当に必要?

スーパー睡魔の日々を経て、いったんすべてがリセットされつつあるのですが、今まで大事にしていたあらゆる価値観が崩壊していく感覚があり、様々なことに疑問を感じてきてしまっています。今気になるのが「目標設定」について。今まで私たちは小さいころから「目標」を持てと言われてきました。どんな時も「目標」に追われて、そのために毎日「努力」し、「成果」を上げろと言われてきました。目標を達成した暁には達成感と満足感が得られますが、それまでは自分を奮い立たせる毎日。ある意味苦行、修行ですよね。

私はそれが良いと思っていましたし、「目標」があればそれに向かって頑張れるけど、「目標」がないとどうしていいかわからない、という典型的な日本人でした。それもそのはず、小さいころから受験勉強で他人と競い、目標に向かって努力するということについては、何も意識しなくても勝手に身体が動いてしまうくらい習慣になっているからです。私だけでなく多くの方が同じような価値観をお持ちだと思いますし、「目標に向かって努力する」ということについて、否定的な考え方というのは一般的にはないと思います。

しかしながら、こうも毎日のように「目標」が変わっていく日々を過ごしていると、今まで依存していた「目標設定」という行為そのものが怪しいのではないかと思わざるを得なくなります。「目標設定」なんて本当に必要なの?今の私の頭の中はそんな考えでいっぱいです。下手に「セラピストになる!」とか「ライターになる!」とか決めない方がむしろ本来の道に自然と進んでいくのでは?頭で決めた目標なんて本当にあてにならないんだろうなーと再度思ったわけです。(頭で考える「願望」「目標」の不正確さの記事参照)そして今この記事を読み返してびっくりしたんですが、この日も午前中頭が働かなかったと書いてますよ。「頭が働かなくなる=目標がリセットされる」というパターンを5月にもやっていたようです。これって結構すごい発見です(笑)。毎日noteを書き続けているとこんな気づきもあるんですね、すごいメリットです。

5月に、目標なんてあてにならないから、毎日楽しく過ごすだけでいいじゃんと書いていて、今の私も同じような心境になっています(笑)。どうしても今までの癖で、目標設定をしてそのために努力しようとしてしまうパターンが残っているようです。二度も同じことをやっていると、もう「本当に目標なんていらないのかも」と思えてきます。いい加減学びなさいということですかね。目標があるからこそ頑張れるシチュエーションも多々あるのですが、でもやっぱり決めすぎてとらわれない方が良いのだなと思うこともあるので、これからしばらくは「目標を持たない」ことを目標にしてみようかと思います(笑)。また目標を持ちそうになったら誰か止めてくださいね(笑)。

書くのが好きだから毎日noteとブログを書く、フラワーエッセンスが好きだから毎日飲む、音楽が好きだから毎日聞く…その瞬間瞬間の「今」やりたいことだけをやり続けること。そうすれば「今この瞬間」も大満足でご機嫌でいられます。ライターになるための修行としての「毎日ブログを書く」なのか、楽しくて身体が勝手に動いてしまうから「毎日ブログを書く」ことになっているのかというのは全然違うということですね。そういう意味では無理に毎日書くという「目標」を設定することはなく、気が向いた時だけ書いていけばいいということになりますが、それでもここまで毎日続けていると書かない方が嫌なので否が応でも書くことになります(笑)。魂とつながるハートの声に耳を傾ける生き方というのは、究極的には「目標を持たない生き方」なのでしょうね。ある意味行き当たりばったりとも言えますが、その方が結果としてスムーズに本来の道に進めるような気がします。

「目標のために努力する」ことに慣れすぎた私たちにとって、「目標を持たない生き方」というのは、ある種の恐怖を伴いますし、覚悟もいることだと思います。それでも私は2回も「頭が働かなくなっては目標をリセットする」というパターンを繰り返しており(笑)、これはもういい加減気づけということかなと解釈しました。長年しがみついていた「目標設定」という行為を手放し、心の赴くままに生きるという生き方にシフトチェンジしてみたいと思います。

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