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山本鈴美香先生の「エースをねらえ!」レビュー「山本鈴美香先生が描く宗方=父親の本質は「蜘蛛」である。」

ブックオフで山本鈴美香先生の「エースをねらえ!」を全巻買ってジワジワ読んでます。
今読み返すと岡ひろみと竜崎麗華に関する所見がガラリと変わりますね。

岡ひろみは
「このまま何も出来ずに負けるのは嫌だ。負けるにしても何か爪痕を,生きた証を残したい」
と思ってて
「何でも自分の糧(養分)にしてやる」
って生き物だったらどれだけ下等であっても持ってる本能の化身であって,
僕は専攻がホラー映画なので「人喰いアメーバみたい」って思いました。
そんなひろみに竜崎麗華は「ボケっとしてると養分にされる」って自我が捕食される原初の恐怖を感じて必死に逃げる訳で。
喰われない為にはひろみの前を走り続けるしかない恐怖。立ち止まったら喰われる恐怖。
要するに竜崎麗華を主役に据えたらホラー漫画になるんですよコレ。
つまり岡ひろみの本質は「原初生物の貪欲」。何でも喰ってやる。

「竜崎麗華は自分が『お蝶夫人』と呼ばれる事をどう思ってるんだろう」が本商品を購入した好奇心・動機の総てだったのですが
その結果は「「お蝶夫人」という渾名には常に最大の敬意が払われているので許す」でした。
彼女は自分に恭順の意を示すものには無限に寛容ですが,
ほんの少しでも生意気な態度を示したら断じて許さない。
要するに心根がナチュラルに「王様」なんですよ。
「日出処の天子」の額田王の様に「我が所領に手出しする者は誰であろうと容赦せぬ」。
竜崎麗華の場合,「所領」に「藤堂貴之の心」も含まれていて引っくり返りましたがね。
断じてヒラヒラ華麗に舞う「ちょうちょ」などではない。

なので最初彼女は彼女に恭順の意を示すひろみをベットベトに可愛がる訳です。
だがひろみに自我が芽生えて反抗する様になると途端に憎み始める。
「このガキャア昔の純真無垢のままであればいいものを…!」。
竜崎麗華は岡ひろみの成長を頑として認めようとしてないんです。
だから…こういう言い方は適切ではないかも知れませんが「悪い母親」「悪い国母」に近いのかなあ。

本作に於ける「ちょうちょ」は岡ひろみであって
宗方仁は蜘蛛。
彼の浴衣の蜘蛛の巣が
「ちょうちょ」を捕えて離さない彼の本質を描写してる。
宗方は藤堂に「女の成長を妨げる様な愛し方はするな」と言い,
「父が娘を愛するのに何の打算がある」とも言ってたけど
宗方は山本先生の父親に生き写しで
山本先生が神の声を受け取る「巫女」になっても
先生の側から離れず先生のアシスタントから「指導料」を取る存在で
「絶対にアシスタントに行ってはならない先生」の上位を占めていた。
先生は宗方=父親の本質を「蜘蛛」を見抜いてたんだよね。

「エースをねらえ!」は宗方が死んだ時点で終わるべきだったと思う。
その後出て来た坊主に説教されながら
テニスする岡には感情移入出来なかった。

僕は漫画を理屈を組み立てながら読むのが好きです。
とりとめのない感想となりましたが,知恵熱出して頭が痛いです。

子供の頃読んだときは岡の向上心に共感したものだけれど
大人になってから読むと彼女が蜘蛛に捕らわれた「ちょうちょ」に見える。
それは娘が父親なしでは生きられない「永遠に自立出来ない子供」である「歪んだ親子関係」を示しているのである。

優れた著作物は年齢に応じて感想が変わるのである。
ホント…その通りだね。

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