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どんな時だって上田は、誰かを悪くなんて言わなかった。

上田引退のニュースが頭の中を、ぐるぐるめぐっている。

あの日のバントもあの日のファインプレーも全部全部、大きすぎるプレーだった。

チームは、上田はまだ他のチームでやれると思ったのかもしれない。でもきっと上田は、このチームで引退を迎えたかったんじゃないかと思う。勝手にだけれど、そう思う。それはなんだかすごく悲しいすれ違いにも見えてくる。

上田の戦力外を始めとする、例年以上の戦力外の動きがあったり、FA権を取得する三選手の去就が見えなかったり、一時期、ほんの数週間前まで、ファンのチームへの「批判」の声は大きかったように思う。でもてっぱちが残留を表明し、石山も表明し、そして大型助っ人の獲得ニュースが出るにつれ、その批判の声は賞賛に変わっていった。明らかに、風向きが、空気が、変わっていった。

もちろん私も嬉しかった。てっぱち残留は、ここ最近で一番うれしいニュースだった。令和で一番うれしいニュースだったかもしれない。

だけどその流れを、上田はどんな思いで見ていたのだろう。そう思うと、どうしても胸が痛んだ。

私はヤクルトというチームが好きだ。ヤクルトにいるてっぱちが好きだ。ヤクルトにいるぐっちが好きだ。だから、もし仮にてっぱちがヤクルトを去っていたとしても、万が一ぐっちがヤクルトを去っても、もちろん選手個人の活躍は期待しながら、ヤクルトというチームはやっぱり好きでい続けるのだろうと思う。

巨人から来た選手も、カープから来た選手も、(もしいたとすればだけれど)、ヤクルトのユニフォームを着た瞬間、応援したくなる。不思議な感覚だけれど、そうなのだ。

だから、誰かが活躍すれば喜ぶし、誰かがチームに残ると決めてくれれば嬉しいし、外国からすごい選手がやってくると聞けば胸が踊る。それはごく自然なことだ。(毎日毎日試合のある野球を見ていると、「その日嬉しいことはその日のうちに存分に喜んでおく」という姿勢が身についてくる。)

でもそれは一方で、誰かがそのポジションを譲るということで、誰かに引退を決意させるということなのだ。

野球には表と裏があるように、物事には光と影がある。歓喜の裏で、涙を流す人がいる。

誰も彼もを、傷つけずに生きて行くことなんて、できない。私が「書く」ことで、傷つく人も必ずいると思う。私はヤクルトが好きだから、ヤクルトが勝って喜ぶ気持ちを言葉にするわけだけれど、例えば相手チームのファンから見れば、それは心地よいものではないだろう、と思う。

ペンを持つ限り、必ず誰かを傷つける。

でも、だからこそせめて、「傷つけよう」と、意図的に言葉を紡ぐことだけはしないでおこう、と思っている。そんな風に言葉を使うことだけはやめよう、と。

私に向けられた、心ない言葉を目にすることも、もちろんある。直接飛んでくることもあれば、見えないだろうと思われているところで、偶然目にしてしまったこともある。もちろん、良い気はしない。それでも、人の目に触れるところでは、その誰かを責める言葉を発するのはやめよう、と決めている。同じ土俵に立ちたくない、というのがまあ一番だけれど、もう一つ、その誰かを責める言葉は、その誰かを大切に思うまた知らない誰かを、知らないところで傷つけるかもしれないからだ。

そしてそういうのは、巡り巡って結局、自分や自分が大切に思う人を傷つける刃となって、戻ってくると思うからだ。

上田のことを、また考える。

上田は、陽気で、明るく、でもきっと、きっとすごく傷つきやすい。それでもあれだけSNSを使っていれば、心ない言葉を目にすることだって、私の数千倍多かっただろうと思う。

でもどんな時だって上田は、誰かを悪くなんて言わなかった。

14年間プレーしたチームに突然戦力外通告された時にだって、決して、チームを、悪く言わなかった。

上田の痛みがどれだけのものだったか、私には計り知れない。それでも大きな大きな痛みであったに違いないだろう、と思う。だけどこれだけの大きな痛みの中で、苦しみの中で、上田が一人悩み、苦しみ、決断し、そして誰を責めることもなく、チームへの思いを口にしたことは、きっとこれからの上田の人生で、周り周り、良き形になって戻ってくるはずだ、と思う。

その還元は、すぐにじゃないかもしれない。だけど、しんどい時に見せるその人間性が、なによりその人を表すんじゃないか、と私はいつも思う。それは巡り巡ってきっと、上田のこれからの人生を、豊かにしてくれるのではないか、と。

だから私は、いつまでもいつまでも、上田を応援していたい、と思う。あれだけチームを盛り上げ続けた上田が最後に見せた涙を忘れずにいよう、と思う。この先、野球をしてもしなくても、どこかで空気を明るくする上田を、そっと応援していたい、と、そう思う。

みんなみんな、何かを抱えて生きている。光と影があり、今日笑う人がいて、今日泣く人がいる。でも「影」の日に、光が別の場所に当たっていたその瞬間に、涙を流しながら痛みに顔を歪めながらそれでも、鋭い言葉を誰かに投げかけることなく踏ん張ったその経験は、いつかきっとまた、光の場所に連れ出してくれるはずだ。

上田のこれからの人生が、今まで以上にまた、素晴らしいものでありますように。たくさんの光がまた、上田に注ぎますように。

良き試合を、最高の瞬間を、たくさん見せてくれてありがとう。

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