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【4/16中日戦●】「しあわせの瞬間」の話

よしもとばななさんのなにかの小説で、「しあわせの最中に、ほんとうにしあわせだと気付けることは少ない。」といったような一節があった。「だけど人生に数回だけ、しあわせの最中に、しあわせだと感じられることがある」みたいなことだったように思う。もう、どの小説かも忘れてしまって、正確な表現はわからなくなってしまったのだけれど、でも私はこの「事実」についてずっと考えながら、人生の半分以上を過ごしている気がする。

私にとって、「しあわせの最中に、しあわせだと感じられた」ことで覚えているのは、大学4年のときに、ゼミのみんなで行ったハワイの卒業旅行でのことだ。

夕暮れ時のワイキキビーチで、みんなで半分海に浸かりながら、ビーチバレーをした。というか、ビーチボールをみんなで回した。海の水に足がとられてこけてはケタケタと笑い、友人たちの顔はハワイの夕日に赤く照らされ、暑くも寒くもない風がそよそよと流れ、私はもうすぐ卒業して、みんなとは離れ離れになることをよくわかっていた。そういう全部が美しくて、私は「今この瞬間がしあわせだなあ」と心底思った。これはしあわせの具現化なんだろうなと思った。

だけどたしかに、こんなふうに、その最中に「しあわせだ」と気づけることは、ほんとうに少ない。振り返って「あああの時はしあわせだったな」と思うことはたくさんあるけれど、その最中にそれを本当の意味で、実感できることはほとんどない。「楽しいなあ」「うれしいなあ」とは思うけれど、その景色が強烈にあとまで残ることに、そのときはなかなか気づかない。そしてその景色というのは例えば子どもが生まれたあの劇的な瞬間とか、大学に合格した瞬間とか、そういうのではなくて、「ゼミのみんなと卒業旅行でハワイへ行って夕暮れ時にビーチボールで遊んだ」という、けっこうささやかな、ただそれだけの瞬間だったりする。

と、なんでこんなことを思い出したかというと、私はあの、神宮で(遠隔で)みた優勝の瞬間、「ああしあわせだ」と思う余裕があったかなあと、ふと思ったからだ。

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