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【4/23阪神戦◯】21年間勝ち続けるカツオさんが教えてくれる、変わらずいるために、変える勇気と努力のこと

むすめと二人で原宿へ出かけた。

「ママ、500万年ぶりに来たと思う。」と言ったけれど、実際はたぶん、20年ぶりである。つまり上京したての右も左もわからなかった時にやってきた以来、ということです。

あの時私は、「東京といえば原宿やろ!!」みたいな感じでやってきて、竹下通りの人の多さに「人当たり」を起こし、翌日発熱した。(まじで。)

いやそんなことくらいでと今は思うけれど、あの頃私は今の5倍くらい、不健康だったと思う。初めての一人暮らし、初めての自炊。規則正しい生活なんて全く無理だし栄養のある食事を毎日食べるなんてもっと無理であった。だいたい、驚くほどにお金もなかった。お昼は、大学内の生協で買ったカップラーメンと、家から作って持ってきたおにぎりで済ませていた。恐ろしい話である。だれかあの頃の私にたんぱく質の重要性について説教してあげてほしい。きんに君さんお願いします。

まあそういったわけで、原宿で「人当たり」を起こして発熱するくらいには、体力がなかった。それ以来、原宿にはほとんど、足を運んでいなかったと思う。

しかし時は流れ、むすめ(9)がTikTokを見ながら「はらじゅくに…!!行きたい…!!!」と、言うようになった。まあたしかに、すっごく、好きそうである。はらじゅく。

かくして、むすめの誕生日祝いを兼ねて、二人で原宿に出かけたのである。ほんとうは今日は家で試合を見るつもりだったのだけれど、「いや原宿なら神宮も近いな…?」と、急遽チケットを取り、二人で観戦することにした。

むすめの初めての原宿はそれはそれは楽しかったそうで、「いままで行った場所の中でいちばん楽しかった…!!いままででいちばん楽しいたんじょうびだった…!!」と、何度も何度も言っていた。お洋服やさんでベルトを書い、アクセサリー屋さんでイヤリングを買い、380円均一のお店でバッグ(!)を買い、どでかい綿あめを買い、哺乳瓶に入ったジュース(!?)を買い、フラミンゴだかユニコーンだか奥田民生だかに入ったなぞのキラキラドリンクも買った。

母さんはもちろん、20年たっても人混みにやられたが、しかしこちとらもはや、毎日筋トレをしてプロテインを飲む身である。おそらくもう発熱はしない。パワー。

そういったわけで原宿を堪能し、くたくたの足をなんとか引きずりながら向かった神宮で待ち受けていたのは。

…バックネット裏2階最上段席までの階段と、1アウト満塁のピンチである。

「もう…くたくただね…」と、二人で言いながら、なんとか階段を登りきる。今日もまた厳しいのか…打線は絶不調だし…と、思いながら見守っていたら、カツオさんはなんとかそのピンチをしのいでいた。パワー。

がんばって登ったバックネット裏2階最上段席は、運良く両隣が空いていてゆったりと見られた。なんといってもこの席は、前後も広くてのんびり見られるところがとても良い。今日は柱に思いっきりかぶってしまう席だったけれど、なんせ慣れない原宿の街を歩き回って疲れた私には、このゆったりさがありがたい。

カツオさんは最初のピンチが嘘のように、まさに熟練の、といった投球で、相手を打ち取っていった。そして盟友エイオキ名誉キャップは、まさに熟練の、ホームランを放った。

カツオさんの「21年連続勝利」を改めて思う。私が初めて原宿に行った、その頃からカツオさんは、勝ち続けている。毎年、毎年。

その間に私は大学を卒業し、新聞社に就職し、退職し、フリーで仕事をするようになった。子どもたちはもう小学生になり、「原宿に行きたい!」なんて言うようになった。そして、みんなでヤクルトを応援するようになった。

その間カツオさんにだって、きっと多くの変化があった。家族を持ち、お子さんたちは大きくなった。たくさんの、ほんとうにたくさんの、有望な若手ピッチャーがヤクルトから出てきた。同時に、多くのチームメイトがヤクルトを去るところを見続けた。自分より若い選手がそこを去るのを何度も何度も見届けた。

でもとにかく、42歳のカツオさんはそこで、投げ続け、そして勝ち続けている。それだけは、変わらずに、ずっと。

マッキーは「大事なのは変わってくこと、変わらずにいること」と歌った。20年前、一人で東京に出てきた私はその歌詞に随分励まされて何度か泣いた。「変わってくこと、変わらずにいること」。

でも、何を変えて、何を変えずにいるのか。20年前の私はきっと、ぜんぜんわかっていなかったと、今は思う。

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