ただひたすらに、信じてやりつづけること。

今日は一週間に一度行われているレッスンの日だった。


私は打楽器を学び始めて、今年で12年目となる。私の音楽のキャリアの最初はピアノで、それを含めるとすでに20年という長い年月の間、片時も音楽から離れることはなかった。この長い年月を積み重ねてきた今、思うことは回り回って最終的に、基礎がとても大切だと痛く感じている。


今日のレッスンでは、“日本にいたときと残念ながら変わっていないね。”というコメントを頂き、自分自身に対して落胆、残念、もっと出来るはず、という感情が次々と襲ってきた。(ちなみにこのコメントは先日行われたコンサートに対してで、今はそれらを改善するために基礎を集中的に行っています。悔しいという感情を忘れないためにも、自戒の念を含めここに記しておきます。)


そして最近はもっぱら基礎のレッスンで、ひたすら一つのティンパニに対して、正面から向き合って、延々とポーン、ポーンと1つ打ちの繰り返しをしている。

一時間も二時間もひたすら一つの音を叩いて、組み合わせのパターンを変えてまたひたすら一つの音を叩く。傍から見たら、気が狂ってるんじゃないかと思われるんじゃないかというくらい。


でも私はそれがすごく楽しくて、何も特別なことはしていないし、しかも進んでいるのではなくてどこかで戻っているのではないかという感覚が襲ってくるときもあるけれど、これは私が私をより良くするための大切な時間なのだ、と信じてやり続けるしかないと思っている。

レッスンは充実した内容で、自身のウィークポイントを痛いくらいつつかれ、レッスンの度に落ち込むし、人と比べてしまう自分がいるのも確かなこと。でも、常に良い方向を向いてそれを選択していかなければならないし、変わり続けるものをふと立ち止まって、変わらないところの良さも同時に認めていきたいと思う。


こうやってたまに、今、自分が向き合っていることに対して振り返りの意味も込めて頭の中を整理すると、“もっと上手くなりたい”っていう感情の根底には常に“悔しい”“負けたくない”という気持ちがこんなにも自分を鼓舞しているんだな、と改めて感じる。

先日知人に、以前の私の写真と、以前の私の写真を比較した画像が送られてきたのだが、そのコメントには「さらに気が強いのが増した。」と書いてあった。笑
以前みたいにノホホンと生きていたらここでは潰されてしまう、そんな厳しさも同時に痛感・体感できるところに身を置いて、なんとか一生懸命食らいついていくという気持ちを持ってやってきている。


これまで積み重ねてきたものを少しずつ変化させながら、同時にいいものを取り入れることの楽しさと大変さを時間をかけながらやっていこうと思う。


私はこの時間を持てて、本当に幸せだ。


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