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ハイコンテクストの日本で23年間生きてきた私にとって、ローコンテクストのドイツに渡って生きることは驚きの連続だ。

タイトルにある通り、「ハイコンテクスト」であるといわれている日本と、「ローコンテクスト」であるといわれているドイツの、2つの離れたところで暮らしている私の目にみえることを、感じるままに書いてみようと思います。


そもそも、「ハイコンテクスト」「ローコンテクスト」とはなにか?


国や地域により生まれるコミュニケーションスタイルの特徴のこと。

ハイコンテクスト:コンテクストの共有性が高い文化のことで、伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう環境のこと。日本を含む、アジア諸国に多くみられるとされる。

ローコンテクスト:コンテクストに依存するのではなく、あくまで言語によりコミュニケーションを図ろうとすること。そのため、言語に対し、高い価値と積極的な姿勢を示し、コミュニケーションに関する諸能力(表現力、説得力など)が重要視される。欧米や欧州に多くみられるとされる。


このような文化があるということを知らずに、ドイツで生活していましたが、ある日この文化を身をもって知ることになります。


バスに乗っていた日の事。私は次の駅で降車したく、座席を立ちあがりました。でも隣に座っていたおばさんは、私が立ったからといって、特になにをするでもなく、そこをどいてもくれないのです。

そこで私はおばさんに「次の駅で降りたいです」ということを伝えました。そしたら「分かったわ」と言ってスペースを空けてくれたのです。こうも、一回一回”ここで降りたい”ということをはっきり言わないといけないのかな?と不思議に思った私は、インターネットで「ドイツ人 意思疎通 出来ない」などと検索にかけた記憶があります。笑

でもそれは、意思疎通が出来ないなどではなく、完全に文化の違いだったのだと分かったときは安心しました。なんでか私、避けられているのかな、とか話しかけてほしくないのかな、とかいろんなことを勝手に想像してしまっていたので、謎がとけて良かったです。


今思えば、語学学校に通っていたときもそういう文化の違いがあることで、先生からは「もっと発言してみて」とか言われていたのを思い出します。空気を読む、だったり、相手の言いたいであろうことを察そうとするあまり、発言が出来なくなっていたことも事実としてありました。でもその当時通っていた学校のみんなは(私だけがアジア人)、積極的に発言するんです、今学んでいる語学が十分でなくても何かを必死に伝えようとする、その姿勢は本当にすごいと思っていましたが、私にはそれが出来るようになるまで、時間がかかるなあ、、、と当時は心の中で泣きながら思いました。


バスや語学学校、生活においてのコミュニケーション、なんでもそうですが、それからというものの”はっきり・しっかり自分の意思を相手に伝える”ということを意識付けざるを得ませんでした。そして”察する”ということをやめてみました。だって空気って読むものじゃなくて吸うものでしょ?


自分の意思を言葉にして伝える、ということは、生きていく場所がハイコンテクスト文化であろうとローコンテクスト文化であろうと、どこであってもとても大切なことであると考えており、私は今後も継続してそれらを実行していこうとおもいます。(しかし、日本に帰ってきてからというもの、相手の発言する言葉の裏に隠されたことが分からず、つまり~ということですか?を連発しているのは反省。笑)



最初こそ戸惑いましたが、文化のことを知り、そういう場面に実際に出くわし、体験しているからこそ、日々何気なく過ごしている”当たり前”という自分の中の概念が壊されていくことが面白いです。そして何よりもまた1つ新しいことを学ぶことが出来た!というワクワクで日常が溢れています。

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