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「しあわせ」の持続性と慣性の法則。あるいはキャラメルポップコーンを最後までおいしく食べる方法について

ずっと一口目だったらいいのにな。

とは思いませんか?

どうして、チョコレートアイス至福の象徴にしろ、キャラメルポップコーンただし無印良品に限るにしたって、二口目、三口目と口に運ぶうちに、その感動は薄れていってしまうのだろう。

正直な話、四口目あたりからは「惰性」で食べているわけなんですよ。「慣性の法則」にしたがって口に滑っていくだけである。途中からお腹が膨れてむしろ「苦しい」まである。

どうやら、人には「慣れ」という性質があって、これが「しあわせ」が持続することを阻んでいるようなのだ。

そもそも、人はなぜ「慣れる」のだろうか

ぼくの微かな情報網をたどって考えるに、かつて人類が大陸を歩き渡るとき、環境に「適応」していく必要があったわけだ。なぜなら環境は人間の力でどうにかできるものではなかったのだから、「自ら」をそこに合わせることでしか、生き残ることはできないわけだ。

ところが、現代はどうだろう。どんどん「環境」は便利になっていく。これは、「環境」を人間に適応させていっている、と捉えることができるのではないだろうか。

要するに、「適応する力」すなわち「慣れ」が、ある意味では、不要なものになってきていると思うのだ。

じゃあ、近代人らしく「慣れる」べきことと、「慣れぬ」べきことを理性的に区別して、「慣れ」を都合よく「しあわせの鍵」に生成してしまおう、という話である。

端的に言えば、どうにかしてキャラメルポップコーンを最後まで味わいたいのである。

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強く「慣れ」


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山登りでしんどい時はいつでしょうか。

答えは、登り始めの10分である。毎回しんどくて、その都度「やっぱやめようかな」などと初っ端から心が折れそうになるのだけど、歩いている内に、だんだんと足がぐいぐい進み出し、楽になってくる。恐らく「慣れ」のお陰だ。

そう、「しんどい」を「楽」に変える能力としての「慣れ」は、多分に使える。「修行」などは、これによって過酷な環境でも「楽に」いられるようにするものである。

「習慣化」のすごさは、無数のビジネスパーソンが無限に言っているので言うまでもないが、負荷が少なく「強く」なれることはじゃんじゃんやっていこう。やがてポップコーンを食べ続けるように、やり続けることになる。

ただし「苦痛」という、危険を知らせる信号に対して鈍くなるということは、リスクがある。たとえば理不尽なブラック労働などは、心身を削るばかりなわけだから、慣れてしまえばいずれ身体か精神のどちらかが死ぬ。

長期的な目線で「強く」なれるかどうかで「慣れる」か「慣れぬ」かを選ぶと良い。

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交互に食べてはどう?

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冒頭の「慣性の法則」の話だ。

どんなに「日本はすごい」「昔は云々」「アフリカでは云々」と言われても、ぼくたちは「慣性の法則」に従って生きているから、これが「普通」なのだ。ぼくなんかはもう28口目を食べようとする頃合いである。

そこで、ひとまずぼくは考えました。

アイスとポップコーン、交互に食べてはどうだろうか。

要するに「地方」と「都会」を定期的に移動すると、どちらも「一口目」の味わいなのでは、という実験である。

地方にいるとストレスなく過ごせ、移り変わっていく季節を感じ、感性が磨かれていく。だけどそれは裏を返せば、自然の脅威もあるということ。自然現象によるトラブルが多いわりに、人手は少ないため、対応に追われて時間があっという間に過ぎていく。

都会では、時間をたっぷりと確保でき、快適な空間で存分に自分の時間を過ごすことができる。代償に、秒単位で動く「群衆」という荒野を生きるのに消耗した心を、作り物の「オアシス」で癒していると、人生の道に迷いやすいように感じる。

実験結果は、どちらにしたって最初は「良い面」ばかりみる。だけど、時間が経つほどに「良い面」ばかりが当たり前になってしまい、「悪い面」がはっきりと見えてしまっていた、である。

数日単位で移動するならいいが、あまりにコストがかかってしまうため現実的ではない。

この結果を盲信するのであれば、「しあわせ」って人にとって永遠の目標のようだけど、「人の設計」は「しあわせ」になることを目的としてないと思うのですよ。

本当に「しあわせ」が目的なのであれば、「良い面」に慣れない方がいいに決まっている。では、「悪い面」ばかりではなく、「良い面」に慣れ、「普通」となるのはどうしてだろう。

それは、文明の発展のため、より良い物を創るためではないだろうか。人々が『iPhone4』にいつまでも感動し続けていれば、いつまで経っても『iPhone5』は現れないだろう。

しかし、ぼくのような無能に関しては、慣れたところで新しい物を購入するお金はないし、新しい発明をできるわけでもない。それなら「慣れず」に、いつまでも感動していた方が「しあわせ」ではないだろうか。

「良い面」に「慣れず」にいるためにはコツがいる。

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「慣れない」ためには


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「慣れない」ために効果的なのは「リセット」である。

朝、起きたらまず「瞑想」をする。ぼくは代わりにヨガをやっているが、まあ、人それぞれのリセット方があるのだろう。眼を瞑るだけでもいい。

とにかく、昨日からの慣性を一旦断ち切るのだ。

視界をまっ暗にする。イメージは宇宙空間と漂う形のない「私」である。自分が「何者なのか」「どんな場所にいて」「なにを持っているのか」ひとつひとつ確認していく。そのとき、宇宙に存在するのは「私」だけなのだから、誰かと比較しなくていい。ただ自分を構成する要素を見ていく。生まれる前のなにもなかった状態から、与えられた「全て」を毎朝、再誕させるのだ。その喜びと共に一日を過ごすのだ。

寝る前もそう。眼を瞑り、全ての恵がまだ無事であることの喜びを認識する。

そうすると、自然と感謝の念が湧いてくる。これが無能だからこそ見つけられる「しあわせ」の正体である。

「慣れ」は不足を探し、「慣れず」は足るを知ることだったのだ。


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ずいぶん遠回りしたが、本題の「無印良品のキャラメルポップコーンを最後までおいしく食べる方法」については、もうお分かりのことだろう、『3粒ごとに水を飲み、口の中をリセットすればいい』とこういうわけである。終り。

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