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日本を慈しむという事

桜の季節を堪能し終わった時期に、個人的な経験と思いを中心に、改めて日本を見直してみたい。

実は25年くらい前は、いずれ本気で海外に移住しようと思っていた。
周りもそう考える人が多く、オーストラリアだ、ニュージーランドが良い、いやカナダ最高、やっぱハワイでしょ、などと話していた時期。

当時は日本の音楽マーケットにもビジネスにも嫌気がさしていたし、メディアはあの手この手で政府批判を繰り返し、自虐史観がはびこり、この国が好きではなかった頃だった。

経験上、最初に疑問に思ったのが、80年代末のバブル真っ盛り期。
仕事は絶え間なくあり、業界も浮かれ気味。景気のいい話があちこちから聞こえ、億単位の予算でスタジオ作るから手伝えだの、1アーティスト専用のライブ会場作りたいから地域検討しろだの、音楽番組作るから企画出せだの、月一ペースでネタが出てきた。もちろんレコーディングやコンサート費用も青天井。とにかくただ浮かれていた・・。
その頃、何枚も関わり作ったアルバムが、今になって「City Pop」ブームで再評価され、世界中でもてはやされているのは感慨深い。

当時は連日打ち合わせと称した飲み会ばかり。深夜の六本木通りはベンツだ、BMWだが二重駐車し大渋滞。タクシーも捕まえられない。通りでは1万円札を振りかざして、酔いどれサラリーマンが帰宅の車を探している。
全業界が日夜狂騒しており、金離れはとにかく良かった。

取引銀行の担当者はこちらの必要の無い金を貸すから、借りてくれと日参してくる。支店長自ら、土地だ、マンションだを、頭金なしで良いから買わないかと営業に来る。相手をするのも面倒だし、なんだかなと思っていた。

しまいには東京都の土地価格を合わせると、アメリカ全土と同じ資産価値になったと話題になった。能天気だった僕もさすがにそれは変だと感じた。

そしてあえなくバブル崩壊・・。
重要な産業構造から最も遠い音楽業界は、一気にではなく徐々に衰退を始め、平成の世は様々な在り様がいびつに悪化していった。真綿で首を締めるという形容詞通りだった。

遅ればせながら仕事は目に見えて減り始め、予算も削減され、好きなものが好きなように作れなくなった。
90年代半ばを過ぎると、レコード会社のスタッフも若手に様変わりし、それまでのような連係プレーが難しくなってきた。どんなにいい音楽でも、タイアップなどの売れ筋が見えなければ、企画段階で却下された。

そんなこんなが続き、日本はもうダメだという論調が相次ぎ、呆れ果てた僕は日本を出たいと切望した。
とにかくチャンスがあれば、浅はかにも日本を見捨てようと考えたのだ。

幸いなことに、そんなチャンスは来なかった。

そこから十数年が経ち、今は海外脱出などという気は全く失せてしまった。リタイアして、気候の良い海外でのんびり余生を送る、そんな退屈なことが出来るかと思ってしまう。
他にも色々な理由が出てきた。まず海外移住の金銭的余裕などどこにも無い。いまや生存するのに必死だ。国内旅行ですら10年以上行ってない笑。
結婚して家族が出来た事も大きい。子供を海外で育てるという選択肢は、我が家には無かった。

たまたま僕は趣味として90年代頃から「世界史」を再勉強してきた。
それは延々と続く支配と収奪と戦争の歴史である。

世界は醜悪だ。特にヨーロッパは酷い。彼らが有色人種からどれだけ富を奪い取ってきたか・・。
近代史に至って二度の大戦を乗り越えても、なお世界は憎しみ合っている。自由主義圏と全体主義圏の対立。原理主義者たちによる宗教対立。根深く残る人種差別。幾度も繰り返される領土問題。残り火が消えないテロ抗争の惨劇。それらが複雑に絡み合って何度も血を流した負の歴史遺産。

各地域がその恩讐を忘れ去り修復するには、うまくコントロールしても今後数百年が必要だろう。
そんな世界ならば、たとえ数%の富める者になって海外に移住したところで僕には何も楽しくない。ましてや移住した先で、他のアジア地域の人間と間違えられるのも気が滅入る。

ふと気が付くと、海外旅行がしたいという欲求ですら、僕には全く消え去っていた。

まず食事に耐えられない。
3~4日だったら、タイか台湾あたりでは楽しめるだろう。しかし住めるとは思わない。自炊するにしても原材料が違いすぎる。

世界で一番料理の美味しい国は、イタリアでもフランスでも中国でもトルコでもなく間違いなく日本である。

海外からの旅行者が日本の食事の美味しさと価格に、目を丸くするのは当然だろう。
だってその辺の街の食堂でも、むろんチェーン店でも、進化し続けるめっちゃ美味しい食事を、これだけ安く食べられるのは脅威ですらある。
コンビニのおにぎりを毎日食べる外人旅行者は少なくない。
ましてや手を掛けた伝統ある和食や、その調理法、厳選された素材などには、日本人の僕でも感動するしかない。
日本人はどうすれば料理を美味しくできるかを、「本能的」に追求しているとしか思えないのだ・・。
「旨味」や「出汁」が海外のシェフたちの間で、そのまま日本語で通じるというのが和食の凄さを物語っている。

そして日本は美しい国である。その国土の美しさは世界有数である。
日本の四季は、海外の四季がある国と比べても確実に違いがある。
これは桜の時期を日本で過ごしたフランス人が、youtube動画で必死に訴えていたから本当なのだろう・・笑。
その四季と南北を貫く自然が織りなす風景は、草花の可憐さ、紅葉の豪華さ、雪国の荘厳さなどと相まって、日本の「美」をはぐくんできた。

はたまた日本では伝統と最先端の技術が不思議と同居している。
最新鋭の技術研究所の開所式に神主さんが祝詞を挙げる。
丸の内のビル街に小さな神社が存在し、ゴミ一つなく静謐さを湛えている。
何百年の歴史を持つ静かな日本庭園を散策していて、ふと目を返すと高速道路がビルの合間をかいくぐり、行きかう車が見える。
そんなマッチングに外人は心奪われるらしい・・。

地球儀を手にとって欲しい。なければ世界地図を見るのでもいい。
西欧から見れば「極東」と呼ばれる日本は、見ての通り東の果てに位置する島国である。
この一千年間、文化と技術は東へと流れ続けて、日本で混淆し、取捨選択され、魔改造されて「溜まり」となった。ほんの少し大陸側に還流する事はあっても、西欧諸国にまで伝達する事はほとんど無かった。

しかし戦後の交通網の発達で世界は狭くなってしまった。80年代以降マンガとアニメとゲームと電気製品が欧米などへ一気に逆流され、インターネット網のおかげでさらに日本の文化の特異性が露わとなってしまった。
数十年を掛けて、世界に浸透していった日本のポップカルチャーは各国の若者たちを虜にしていき、日本語を覚え、定住する人たちが加速度的に増えてきた。
ついには「City Pop」のメロとサウンドの創造力、改造力が発見されてしまったのだ。

コロナ禍後も、外国人の旅行者は確実に増え続ける。

日本の素晴らしさが、次から次へとバレてしまっている。
よく挙がるのが安全性と清潔度である。
女性が深夜に独り歩きが出来るってのは、日本に来た外国人が100%驚き、安全の証と受け止めている事象の一つだ。
席を確保するのに、スマホや財布を置いておくなど海外ではあり得ないし、商業施設のトイレのほとんどにウォシュレットが付いている国なんて日本以外にない。

さらに都会だけではなく、田舎の凄さが見つけられてしまった。
東京や大阪を堪能した海外旅行客は日本の田舎に出かけ、「美」と「安息の地」を発見してしまう。
困った事だが、田舎の人々はそんな外国人を差別なく心の底から歓迎し、受け入れてしまうのだ。

そして日本人はダメなところよりは、良いところの方が多い。

大きな災害が起きても、暴動にもならず、驚くべき助け合いを自然に行う。他者への迷惑にならないかをまず考える。力を合わせて出来る限り早く復興しようとする。
そんな国民性を何かあるたびに、世界に示してきた。

譲り合いや謙譲の精神は日本人の美徳であろうが、だが一部の周りの国々はそれを利用する事しか考えてない。
反日を国是としているそんな国々は、日本が謝れば、さらに図に乗ってくる。挑発を繰り返し、少しづつ侵略しようとする。

しかし本気で日本に手を出せば痛い目に合う事を、歴史を知る世界の知識人たちは熟知している。
政府が様子見を繰り返す中、事件が起こらない間は人のいい日本人でいられるのだが、もしも犠牲者が出ようものなら一気に豹変するのが日本人の性質だし、その時には一致団結するのだ。

たとえ僕の周りの人々がどんなに日本の悪口を言っても、どんなに日本人がダメな部分、ダサい部分があっても、それは仕方ないし、受け入れる事も出来る。僕自身がそう思ってしまう事もある。
でも、よその国から納得できない悪口言われたら、反発するに決まっているじゃない笑。

判ったのだ・・。
どうであれ、僕は日本と日本人が大好きなんだ。
子供の頃から英米音楽で育ってきたが、ここ十数年でその事にようやく気が付いた。

そもそも音楽や映画や他の文化の「違い」で、欧米やアジア、アフリカなどに対抗できなくても構わない。はなから対抗する必要が無い。

いまさら日本の「音楽リスナーの質」が低いからと言って文句をつけても仕方がない。
だって日本の音楽マーケットには日本人と日本語が必要なんだから。
そしてファンの方々は人が良いから、内容があろうが無かろうが騙されてくれるのだから・・。

さらに様々な文化に於いて「日本人の心」とかに拘る必要もない。
好きなものを好きなように作っていく。様々な影響を受け、得て、そして与えながら、広く許容できる心を持つ。それで良いのだ。

僕はそんな日本と日本人を「愛せる」事、「慈しむ」事に、いまや無上の喜びを感じている。

年のせいなのか・・?
いや気が付くのが遅かっただけだ。紆余曲折が必要だっただけだ。

とにかく僕にとってもあなたにとっても、日本は他に得難い、本当に大事な「祖国」なのである。

この国土と日本人を必ず守っていきたい・・。

この項終わり。

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