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母の新聞投稿と私の論文

先日、母から届いた小包に、新聞の切り抜きが入っていた。
それは、母の投稿した文章が掲載された地方新聞のコピーだった。

私はそれをふんふんと読んで、机の隅に放置していた。
しばらくして夫がそれを読み、こう言った。
「お義母さんの文章は上手だね」
私は夫に「母が喜ぶからぜひ直接伝えてあげて」と答えた。

夫の話には続きがあった。
「あなたも文章を書くの好きでしょう。親子だなと思って」


母の新聞投稿から、私の話になるとは思いもよらなかった。

確かに私は、ここのところ昼間の時間に余裕があり、わりとずっと、論文を書いている。
その隣で夫は、テレワークで仕事をしている。

夫とは研究科は異なるものの、大学院で出会った。
彼も修士課程を修了したが、論文はもう二度と書きたくない、と思っているようだ。


私は、文章で何かを表現することが好きだ。
Facebook、Twitter、noteといろいろ試しながら、何を、どうやって、文章表現し続けようか、自分は何を表現したいのか、今も考えている。


論文がありがたいのは、ある程度、型があること。
そして論文を書く面白さは、自分にとって新しい知識を取り入れなければ書けないこと。
その上で、自分の伝えたいことに向かって論理構成していくこと。

それから、書いているプロセスの中で、自分自身が謙虚になれること。
先人の知恵があるから、私の言いたいことに意味が生まれる。
自由に表現できる箇所はほんの少しに見えて、論文全体が自分の文章でもあるという不思議な感じも好きだ。


思えば母は昔から、家族のおもしろい出来事があれば、地元の新聞に投稿していた。
昔はFacebookやBlogなんてなかったから、新聞投稿は母なりの発表の場なのかもしれない。

私も牛歩ではあるが、ようやく論文を書いて、発表できるところまできた。
夫の一言から、母の新聞投稿と私の論文投稿は、どこか同じなのかもしれないと思った。


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