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感情がぐわ〜〜っと揺れた時、フラットに戻すオススメの方法がある


生きていると感情が大きく揺れることがある。
本や映画を観た時に感じる感動、誰かとの別れの際に感じる悲しみ、他者への怒り、などなど。

この大きな感情の揺れが次の自分の現実を引き寄せる。
思考は現実化するというやつだ。思考は現実化するというのは正確には感情が現実化する。ということになる。

感情というものは、良いとか悪いとか善とか悪などジャッジするものではないと思っているけれど、今の感情が次の現実を創造するならば、「今」感じる感情はできれば心地いいものでありたい。


とはいえ私たちはロボットではなく人間。

コンナロテメェぶっ飛ばしたるーーって怒り狂うこともあれば、ウジウジいじいじメソメソしくしく一晩泣き明かしたり、そんな感情にかられることだってやはりある。

「怒り」「悲しみ」という感情だ。

感情に善悪はないけれど私が心地よいと感じるのは「楽しい!」「嬉しい!」「ワクワク」っていうこっちの感情の方。ということは「怒」とか「悲」に陥った場合、できるだけ早くこっち側に移動させなければならない。

だけどその移動の振り幅が大きければ大きいほどそんな作業はムツカシイ。

めちゃくちゃ腹たって怒り狂いながら口角上げて笑うことなんてできない。
おんおん泣きながらその泣き顔を笑顔に持ってくことなどできない。
まずめっちゃ気持ち悪い奴になるそんなの。
だからとりあえずは怒っていいし、泣いていい。そもそも押さえたり隠す必要なんてない。

問題なのはそこからいつまでも抜け出せなくなること。振り幅が大きかろうが小さかろうが、自分がそう望むのであれば自分にとっての「快」の方に持っていかなければならない。


そんな時に私がよく利用するのがノートとペンだ。
今感じていること、頭の中で吐き散らかしてるその音のない言葉を、言語化してノートに書き「見える化」するのだ。


友達や家族など、誰かに聞いてもらったり、ジムに行ったり何かスポーツしたり、体を動かすことなどもひとつの方法として有効かもしれない。

誰かに吐き出したり体を動かすことは確かにスッキリするし気分も良くなる。けれど私の経験だとそれは一時的な発散にしかならないんじゃないかと思っている。

その時は気が紛れてスッキリするけど、あくまでも「気を紛らせてる」だけの一時的なものでしかない。深いところで根っこが残ったままになる。


けれども「書く」という行為はその根っこを残さない。
自分の思いを書いて実際に目で見ることで、行き場のなかったその思いはどんどん昇華されていく。

成仏するのだ。

思いが成仏すると、また感情は徐々にフラットになってくれる。そうすると自分が移動したい「快」の方に行きやすくなる。


こういう理由で私はいつも「書く」という行為を大事にしているし、自分がやってみてとても効果があったから、モヤモヤしてたりイライラしてちょっと困ってる人にオススメしてる。
「怒」の時に書くと、さながらデスノート化してしまうけど気にしない。自分の思いを知ってあげることが大事なので。嫌悪せずちゃんと「見る」ことが大事。

もちろん「快適〜!」な時に書くのもめっちゃいいです。
興味のある方はぜひ一度試してみてください。

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