見出し画像

世界のカルトカルチャーレポートvol.3 / DIABLO4でみたソフトな優しさ

20xx年の伝説を想像することをミッションとした組織 MVMNTが、世界中で起こっているまだ生まれたばかりだけれどこれから大きな変化に繋がるかもしれないムーブメントを取り上げます。
 
第3回は、ゲームをとりまくつながりやコミュニケーションのかたちに注目します。

DIABLO4でみたソフトな優しさ


筆者の人生において、ゲームはあまり縁がないものであった。私の両親は、ゲームをすることに対して厳しい意見を持っていたし、小学生の頃にやっと買ってもらったスーパーファミコンとゲームボーイでも、ぷよぷよ、ポケモン、マリオ、ドンキーコングなど、数えるほどのソフトしか持っていなかった。
そんなゲーム初心者の私が、先月初めて本格的にゲームをプレイした。それは、友人がハマっていたDIABLOというゲームである。

2023年6月6日に発売されたこのゲームは、第1作目が発売されてから27年、前作であるDIABLO3からは11年ぶりの新作だという。長年にわたって展開されてきた人気ゲームということもあり、その世界観や物語、ゲーム設定などは進化し続け、多くのファンを虜にし続けている。私にDIABLOをプレイする機会をあたえてくれたフランス人の友人も子供の頃からこのゲームをプレイし続けていたという。discord上のDIABLOコミュニティチャンネルには世界中からプレイヤーが集まっていて、その数は48万人以上である。


このゲームにハマり、数週間DIABLO漬けの日々を送ることになるのだが、今回話をしたいのはゲームの世界や内容ではなく、DIABLOをプレイしている中で経験したつながりや優しさについてである。

基本、DIABLOを一人でプレイしていた私は、第一章の最後のボスであるリリスを倒す際に初めて複数人と一緒にプレイをした。私がラスボスを倒すのに苦戦していたら、フランス人の友人がいつも一緒にプレイしている友人たちもちょうど同じ関門にさしかかっているからと招集してくれたのだ。初めましてのフランス人プレイヤーの二人はさすがの腕前でバッサバッサと敵を倒していく。その傍で敵になかなか近づけず離れたところから、微力ながらに技を繰り出す私。しかも何度も死亡して、二人に生き返らせてもらっていたこともあり、戦いに貢献できず申し訳ないと思いながら進んでいた。戦いに集中したいだろうに、私を生き返らせてくれる手間を省いてくれているなんて、とても優しい...。フランス人の友人も交えてdiscordで話ながらプレイをしていたのだが、彼らはフランス語で、「わたしのあの一撃が致命傷を与えてくれてナイスプレーだったとか、初心者にしては一生懸命ついてきていて頼もしい」などのコメントを投げかけてくれていたそうだ。

そのコメントがなんだか嬉しくて、ラスボス・リリスと戦う場面ではモチベーションMAXになっていた。二人がリリスにダメージを与え続けているところにかました必殺技でリリスが倒れたときには手を叩いて喜んだ。”gg(good game)”という言葉を二人から投げてもらったとき、協力して共通の敵を倒すということだけでなく、その先にあるソフトな優しさや思いやりというものに触れた気がして、心が温まった。

それから数日後、ロシア人のティーンエイジャープレイヤーが話しかけてきた。話をしてみると、私のフランス人の友人が、このロシア人プレイヤーや彼が属するコミュニティのプレイヤーたちがとても強かったので、わたしがレベルアップするために彼らのスキルセットやビルド(キャラクターを育成して強くなるためのスキルや装備の選び方)の組み方を教えてほしいと連絡していたそうだ。このロシア人プレイヤーは、「私のために教育コンテンツをこれから用意します!」というと、1時間も経たない間に、telegram上に16スクロールにも及ぶものすごい量のメッセージが送ってきた。

コミュニティのメンバーと協力して集めたレベルごとのスキルセットやビルドの組み方、それらをどう使って戦うかといった情報の説明、キャプチャ画面、プレイ動画がセットになっていて、教育ツールと彼がいっていたとおり、初心者にとっては大変わかりやすく、貴重な情報であった。
しかも、このロシア人は英語が話せないそうで、翻訳ツールを使ってこれだけの量の解説文を英語に翻訳したそうだ。この一連の行為が優しすぎて驚いた。
この人たちは、自分たちの時間とエネルギーを割いて、見ず知らずのわたしにこれだけの量の情報を送ってくれたのである。さらに、彼らのレベルは90近くあり、私のレベルは50にも達しておらず、彼らにとって有益な情報を返せないにもかかわらずだ。

私が一緒にプレイしたフランス人プレイヤーも、レベルアップのためにいろんな情報を教えてくれたロシア人プレイヤーも、私を助けたり、何かを与えることに対して、なにも見返りなど求めてはいない。彼らは純粋にこのゲームを楽しみ、満足しながら、他のプレイヤーもこのゲームを楽しんでくれればいいといったスタンスにあるようにみえた。楽しさや嬉しさのお裾分けをしているようにも感じる。その振る舞いに心が温まった。
オンライン(またはオフライン)上でつながったり、交流することがあってもなくてもどちらでもいいというゆるいスタンスも心地よかった。このような感覚はソーシャルメディアのつながり方や振る舞いとも異なる。オフラインの世界においてもこういうつながりや振る舞いはあるようでない気がする。

世界的なゲーム人口が37億人を超えるといわれている状況を考えると、きっとこのようなつながりや振る舞いは、ゲーム世界の至るところで出現しているのだろう。
オンライン・オフラインのつながりの中で疲労したり、悩んでしまう人も多い昨今、ゲームコミュニティの周縁でみられる見返りを求めるわけでもない、あってもなくてもいいソフトなつながりや優しさは、関係性のあり方や自利・利他的な視点を考察する上で興味深い事例かもしれない。


痕跡をとおしたコミュニケーション


DIABLO4で体験したソフトなつながりや優しさを考察する中で、以前かかわったエクスペリエンスデザインリサーチの事例を思い出した。
それは、あるオンラインの芸術鑑賞プロジェクトにおけるユーザーリサーチを行った時のこと。インタビューをしたZ世代のユーザーが、芸術鑑賞に関わるユーザーのアクションやコミュニケーションなどに関連して、彼がハマっているゲームDeath Strandingとでの体験を話してくれた。世界で最も有名なゲームクリエイターの一人である小島秀夫が手がけたこれらのゲームは世界的にも大ヒットし、多くのファンを魅了し続けているが、このゲームでは、他ユーザーの痕跡などをとおした新感覚のコミュニケーションのかたちがあるという。例えば、他ユーザーが通った場所がうっすら道となっていたり、他ユーザが乗り捨てた乗り物や、移動に使ったロープや梯子といった道具、持ちきれなかったり使わなくなった武器などが痕跡として残るらしい。他ユーザーが残した「お疲れ様」「この先に橋があるよ」といったメッセージ代わりの看板などもフィールドに現れるという。

彼曰く、ユーザー間の直接的なつながりがなくとも、こうした間接的なつながりや行為のほうがエモく、その背後にある文脈や状況を想像することにもつながり、優しさや共感、癒しなどを感じるそうだ。自分が楽しみながらプレイする中で、自然と誰かの存在を感じて、その人たちを思いやり、それが他プレイヤーの楽しみとなるいったポジティブなスパイラルがそこにはある。

DIABLOやDeath Strandingをとおして経験したつながりや優しさのかたちは、インターネットが浸透しきったことにより、自己・他者を苦しめるさまざまな弊害が露呈している時代において、すこし異なるつながりやコミュニケーションを示唆しているのではないだろうか。このような環境の中で育った人々の感覚も非常に気になるものだ。


text / Saki Hibino

https://www.instagram.com/saki.hibino/

ベルリン・パリなどヨーロッパを拠点に活動するリサーチャー、エクスペリエンスデザイナーキュレーター 、ライター/コーディネーター。 Hasso-Plattner-Institut Design Thinking修了。デザイン・IT業界を経て、LINEにてエクペリエンスデザイナーとして勤務後、2017年に渡独。現在は、アート、デザイン、カルチャー、テクノロジー&サイエンス、エコロジーなどの領域を横断しながら、国内外のさまざまなプロジェクトに携わる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?