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自分との対話~コンプレックス~

かつてカメラ(写真)好き界隈に所属していることがあった。
カメラ自体に興味のある人もいれば、写真を撮る行為が好きな人。
デジタルカメラが好きだったり、フィルムカメラが好きだったり、撮る対象が人だったり、風景だったり。そこには被写体になりたい人だっている。

そして、私は「誰かが撮った写真を見る」のが好きだった。
ある日、たまたま行った写真展でたまたま在廊していたので話しかけて仲良くなり、自然と私はそのコミュニティに入っていくことができた。

カメラを現像・プリントしてくれるお店がもちろん存在しており、そのお店を中心に様々な人が出会っていく。そのお店にいる時点で共通の話題があるから仲良くなるのに難しくない。どんどん人が出会っていく。すごいことだ。

私にも誰かがフィルムカメラを貸してくれたり、最近また流行っている写ルンですを使って、撮影会に参加したこともある。
フィルムカメラのため、現像するまでのお楽しみ感はすごくワクワクしたのを覚えている。

だけど、現像された自分の撮った写真には何も写っていなかった。
いや、確かに被写体はちゃんと写っている。技術的や機材トラブルの問題ではない。

つまり「私が何を感じたのか」や「なぜ撮りたかったのか」そういったところが一切感じられない写真なのだ。
なんか良さそう こんな感じがベターかな みたいな。
素人だからとかそういうものじゃない…とはっきりわかったのである。

そう、私は自分の感情を素直に受けることや
自分の感じたことを表現したり、伝えることが本当に苦手なのである。
写真に撮られることも本当に苦手である。どうしてれば正解?と焦りだす。
学生時代プリクラ撮るのは本当に苦痛でした(笑)

どうして皆はこんないい写真が撮れるんだろう。
感じたもの、見たものを素直に写せるのだろう。
羨ましい。自分は何も感じられない人なんじゃないか、
物体を写すことしかできない冷たい人なんじゃないかと落ち込んだのを覚えている。

だからこそ、私は人が撮った写真を見るのが好きだった。
撮る人の見ている世界がどんなモノなのか、何を感じたのか
その写真を見ることで疑似体験ができるからだ。
そういう世界もあるのか、そこにも愛があるのかと自分の感性の低さを感じつつも勉強になるからだ。
だから写真ってすごい。大好きだ。好きな理由は沢山だ。

ここ最近はもうこのカメラ界隈とは関わることはなくなっていったが、私はこのコンプレックスと戦うことが必要である。
何をどうすればいいかはまだはっきりとわかっていないけど、最近は写真に撮られることは慣れてきた。誰も別に何も求めていないというあたりがポイントなのだろう。

自己肯定感とかそんな言葉で書くのは何とも言えない気持ちになるが、高めていきたいね。その方が笑顔が多いように思う。

ちょっと真面目?な話も載せておきたいと思いnoteを更新。









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