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チャミスルでまた始まったあの日。前編


これは、第三者から見たらただのセフレ
だけど、そんな簡単な言葉では表せない人との
出会いと再会。そして等身大の私の物語です。


2021年01月05日_

それは見覚えのある写真と名前だった...


「セフレとか興味ありますか?」

わたしはわざと足跡をつけると
すぐにそう、メッセージが飛んできた。

普段なら無視して終わりだけど、その男からなら何でも良かった。チャットアプリはマッチングアプリとは違い、いきなりメッセージが送れるSNS

「ここで会ったことありますか?」

「かなり前だけど、何人かはいるよ」

「そうなんだ!印象的な人はいた?」

「ん〜そこまでの人はいないかもな」

後から聞いた話だけど、知らない女からいきなり興味をもたれ、白白しい質問攻めをされて怖かったらしい。そりゃそうだ。

テンポよくメッセージを交わし
彼の事が少しずつ分かってきた。

3年程付き合っていた彼女と少し前に別れ
今は恋人より気楽な関係を求めている。という
わたしと全く同じ状況だった。
自然とふたりの距離は縮まった。

複雑な気持ちだった。

本当は少し怖かった...


私は勇気をだして送る


「ごめん、本当はあなたの事知ってるの」
.
.
.




今から7年前_

横浜で一回り年上の彼氏と
狭い1Kアパートで同棲をしていた。

大人になって始めての彼氏。
年上フィルターで魅力的に思えてしまった。
まだ世間知らずで純粋な22歳。

今思えば...
器が小さくて、プライドが高くて、
でも本当は、弱くて、自信のない男。
一言でいうとモラハラ。


程なくして、彼氏が転勤することになった。
私の意見も聞かず当然ついてくるだろう
という態度に腹が立った。

けれど、経済力も決断力もなかったので
言われたことに従うしかなかった。

1ヶ月遅れて家を出ることが決まった。




その期間に今後も深く関わることになる
2人の男性との出会いがあった。

1人になってからは開放感が凄くて
何にも縛られない生活は最高だった。
でも、この自由な時間は限られていた。

どうする事もできない自分の無力さと現実逃避から毎日朝方までお酒を浴びるように飲んだ。

今までの人生で間違いなく、
1番お酒漬けになっていた時期。

"もっと強くなりたい"と思った。
だけど強くなる方法がわからなかった。
やり場のない思いをツイッターの裏垢に綴っていた。それが2015年9月のこと。



ある夜、いつものように酔っていて
チャットアプリを何気なく始めた。
その時に、10個上の消防士と出会った。
(彼のことは、違う小説にも書いている)

彼氏からは否定されてばかりだった。
それに比べて、消防士は何でも肯定してくれたので、良く見えてしまうのは当然だった。

その少し後に、Yくんと出会った。
同い年ということで、気があった。

2人と話してる時は、現実を忘れられた。
浮気をする度胸はなかったので連絡を取り合うだけ。それはまた、同棲が始まってからも続いた。


転職してから、帰宅時間が夜遅くに変わった。
駅から家までの徒歩20分の道のりを
毎日のようにYくんと電話して帰った。
まあ、主に私の愚痴を聞いてくれていた。


とっくに彼氏への気持ちは冷めていた。
実は、クローン病という、症状レベルはあるが
食べる物を制限される病気だった。
うっかり食べて救急車で運ばれた事もあった。
健康の上に性欲が成り立つので
結局、1年ほど身体の付き合いはなかった。


わたしはただ気遣い、支えるだけ。
怒ったら話し合いどころか話を聞いてくれなかった夜に出てけと言われ、家を飛び出し泣きながら実家に電話したこともあった。

喧嘩すると労力を使うので、次第に相手の機嫌取りと、自分をすり減らさないようにすることばかり上手くなっていった。


病気で弱ってるくせに態度は相変わらずで、
寝てる傍でYくんと電話していたのを聞かれ
夜中にキレだし顔を蹴られたこともあった。
「今すぐ出てけ、家の鍵だせよ」と怒鳴られて、
次の日も仕事だったのに寝かせてもらえなかった。

怖いはずなのに、私はへらへら笑っていた。
精神状態が普通じゃなかった。



ここまでされて一緒にいたのには理由があった
ある人に言われた

「元気になるまで支えてあげることが
まいちゃんに与えられた試練じゃないか」

酷なこと言うな〜とその時は思ったけど
逃げずに最後まで支えて良かったと思う。
こんな酷い状況なのは知られてなかったけど
"情"ただそれだけだった。

いや、違う。本当は離れる勇気がなかった。
別れたらこの人以外愛してくれる人はいないんじゃないかと不安がどこかにあったのだ。

愛されるという事がどういう事なのかも
まだ、わかっていなかった。


今なら笑っちゃうし、そんな事ない!て
過去の私に向かって食い気味で言える。
一種の洗脳のようなものだった...
元気になったら別れると強く決意していた。

最後に体を求められた時は気持ち悪かった。
同じ空間にいるだけで
吐き気と頭痛がするようになっていた。

これ以上一緒にいたら自分が壊れてしまう...
そう感じて、逃げるように家を出た。
そして、ようやく解放された。



その日々を乗り越えられた背景には
Yくんがいた。

現状は変わらなくとも、精神的な支えだった。


「家に帰りたくない」


「死にたい」


が口癖だった私の話をひたすら聞いてくれた。
Yくんも駆け出しの頃で大変で、私に必要とされる事に存在意義を感じてたみたい。


そして、ようやくYくんと会う日がきた。 

出会ってから1年後のことだった...


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