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「思考停止」という現代の死

私たちの時間はどんどん細分化されていき、1コンテンツあたりにかけられる時間は年々減っているように感じられる。ニュースなども見出ししか少なくないだろうし、Twitterの140字でさえも流し読み、もしくは冒頭2文程度だけ見て見るのをやめてしまうというのも日常茶飯事となっている。

その結果、キュレーションメディアやTwitterなどのSNSでも誇大広告スレスレのインパクトのある見出しが増え、本文が見出しに見合わないような質の低い記事やお客さんが求めていた情報とミスマッチしているような記事がどんどんと増えてきたような気がしている。

スマホの登場によって加速させられた隙間時間の争奪戦はこれからも指数関数的に激しさを増し、今ポツポツと出てきている傾向はより顕著になってくることであろうと予想される。より短く、より文脈を無視したような強烈な言葉だけが巷に溢れ、言葉はわかりやすく賛否が分かれるようなものが多くなっていくのは避けられ難い事実になるだろう。

短文で構成された現代、そして、その傾向がより顕著になっていく未来を生きていくようになるからこそ、我々は改めて文脈への意識を持たないといけないと最近強く感じた。近年は、どんどん自分の頭で考えられなくなっていると言われているが、この現代の情報過多の波にのまれてしまうと、本当に自分の頭で考えられなくなると危機感を持ち始めた。

知識が行間を読ませる

文脈や相手が伝えたい文脈を汲み取れないと、刺激の強い短文に振り回され、知らない間に自分の都合の悪いようにことが進められてしまい、最終的に知らず知ららずのうちにそれに加担してしまうということさえあり得るだろう。

文脈を無視した言葉の数々に対して反射的な反応をしない、字面通りの捉え方だけで情報を受け止めない、一方的な論調だけで議論を終了させない、わからないのであればそのままにしない、などなど我々が現代において取りべき施策はたくさんある。

しかし、文脈や行間を読むのも知識が必要であり、知識がなければ文脈や行間の読みようもない。その人物の過去を知っているからこそ、どんな思想を持ち、どんなことをやってきたか知っているからこそ、その人の言葉が何を伝えたいのか、はたまた発言していること自体にどんな意味合いが込められているのかということを推測することができる。

その時に鍵となるのが「長い視野」だと個人的に思っていて、可処分時間が細分化されていくほど人々の視野はどんどんと短いものとなっていくので、この「長い視野」の重要性が増してくるように思う。

例えば、よく話されている話で、何回も立て続けてにニュースで少年犯罪の報道がされるとあたかも少年犯罪が増えたように錯覚してしまうという例があるが、これもまた狭い視野と根拠に基づかない反射的な反応が生んだ浅ましき誤解の産物であろう。

理想論にはなってしまうが、長い視野で見れさえすれば、その報道の少し前まで全然少年犯罪の報道がなかったのだから、一時のトレンドくらいだろうと距離をとってニュースと対峙することができるようになると思う。

自分の頭で考える

情報はもうある時を境に、過多になっていく一方で、現代社会には次々と新しい情報が流れ込んでくる。2,3日おきに何か新しい話題が起き、それを多くの人が批判し続けるという昔の人から見たら地獄のような風景がもはや日常となってしまっている。

ニュースやキュレーションメディアは誇大メディアに、Twitterは誹謗中傷プラットフォームになってしまい、社会全体が思考停止した人々を悪しき方向に持っていくような方向に進んでいるように感じる。

現代という大海原に吹き荒れる嵐は未だかつてないほど強く、波も異様に高い。そんな環境下では、泳がなくなったもの、泳ぐ意志をなくしてしまったものからどんどんとその波に飲まれていき、自分の意志とは関係なく右に左にと流されるだけの人生になってしまう。

今、必要なものキュレーションメディアに載っているような浅い情報ではなく、文脈や行間を読めるくらいの深い情報であり、広く浅い〇〇Newsよりも狭く深い読書や深掘りなんだと思う。そして、そこに近道はなく、我々が通るべき道は狭く深くを何度も繰り返し、自分の深い部分を増やしていく道しかないと思っている。

情報の裏にある真意の読み方の前に、情報の入れ方からデザインしていかないといつまで経っても、情報の表面だけで踊らされて、その真意がつかめないまま、あれよあれよと世界の優秀な人たちにうまいようにされてしまう。

トランプ大統領が当選することをほとんどの人が予想できなかったことが象徴するように、マスメディアに踊らされ続けると本当に不利になることが最近顕著になってきたようにも感じている。

「自分の頭で考える」

使い古された言葉ではあるが、やはりこの言葉が全てであると思う。反射的な反応をせず、長い視野でデータ・反対意見とともに吟味し、間違っててもいいから自分なりの意見を作ってみる。「昔は良かった」と過去を100%肯定するのではなく、昔の良かったところと今のいいところは参考にし、昔の悪かったところは切り捨てる姿勢が何より重要であろう。

昔は働くことをやめた時に食料がなくなったために死は訪れていたが、ものが有り余っている現代は思考することをやめた時に実質的な死が訪れる。

「自分で考えること」がもはや生きるということを意味するほど重要になってきたのかもしれないと考える今日この頃であった。

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1997年の日本生まれ。