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「楽しい」とは、なんだろう?

「楽しい」とは、どういうことだろう?

私は毎日を楽しく過ごしたいと思っている。

友人とワイワイ騒いだりする。

それも楽しい。

本を読んで、知らない世界を知る。

それも楽しい。

けど、楽しいけど熱狂するほど熱くもない。

楽しいけど、つまらなくない程度。

それを「楽しい」というのだろうか?

酒飲んで、皆んなでくっちゃべって、女と遊んで、いろんなとこに行って、楽しそうなことをする。

これも楽しい。

けど、やっぱりそこまで楽しくない。

なぜだろう??

東大を主席で卒業した山口真由さんの本を読んでいたら、こんなことが書いてあった。

「勉強を楽しいと思ったことはない。」

東大主席のような人はさぞかし勉強が楽しくて楽しくて仕方がないから、成績が伸びるのであろうと思っていた。

しかし、そんなことはなかった。

「勉強とは忍耐と我慢。楽しさといえば、問題を解けたときのほんの一瞬だけで、そのほかの9割以上の時間は苦しい」という。

でも、一番になれるものらしい。

そして、

「努力とは、反復と継続である。苦しいけど、自分のアイデンティティの為に続けた。」

とも言っている。

なるほど。

これらの内容を読んで、

楽しいとはどういうことだろう?

という疑問への答えに近づいた、ほんの少し。

「楽しい」とは、

今、どれだけ自分に誇りを持てているか?

ということが一つの答えであろう。

大金を払って、どんちゃん騒ぎしても楽しいことは楽しい。しかし、それは非常に刹那的であり、日が経てば、その楽しさはなくなってしまう。むしろ、虚しさが増すだろう。

逆に、苦しいけど何かを乗り越えたり、努力して望んでいることを手に入れたりすることが楽しさを与えてくれる。乗り越えようと努力している最中は苦しいけど、それを突破することができたら、自分に誇りを感じるであろう。そして、その誇りは日が経ってもなくなることなく、じわじわと心の中に楽しさという感情を湧き上がらせてくれるのでないだろうか。

つまり、「楽しい」とは、心のあり方であり、外的要因で決められることではない。外的要因から発生する楽しさは刹那的であり、虚しささえも与えるものである。心から湧き上がってくる楽しさは、努力を続けた誇りを持てる自分の中に生まれ、じわじわと毎日を豊かなものにしてくれるものである。

「楽しい」とは、

「自分に誇りを持ててるか?」

であるから、

私たちは自分自身に誇りを持つために、毎日、何かしらの苦しさに立ち向って頑張っているのかもしれませんね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

素敵な週末をお過ごしください。

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