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グローバル人材という言葉の胡散臭さ

最近よく「グローバル人材」という言葉を耳にするのですが「グローバル人材」って一体何やねん?って思う私がいます。子供を「グローバル人材」にしたいと話す親御さん達。グローバル人材になりたいと言う人達。そしてそういった人を鴨にするビジネス。「グローバル人材」ってカッコ良くて耳障りの良い便利な言葉だけど「グローバル人材」の定義って一体何なんでしょうね?

私は日本で10年ちょっと働いた後、配偶者がアメリカ人だったこともあり、アメリカに移住しました。移住後にアメリカでドイツに本社がある会社に就職して20年ほどお世話になったのですが、移民の国アメリカでグローバル企業に勤めていたために、それはそれはいろんな国の人達と一緒に仕事をしてきました。「北は北海道から南は沖縄まで」って日本語で言いますが「北はフィンランドから南は南アフリカまで」って感じの同僚達でした。5人くらいの集まりだと、全員出身国が違うなんてザラ。まあ10人くらいになると、2人くらい出身国が被ってくる人が出てくるんですけどね。グローバル人材っていうと、私が一緒に働いた人達はみんなグローバル人材なんでしょうかね?英語を使って世界中から集まった同僚達と一緒に働く人達をグローバル人材と呼ぶならば、私も私の同僚達もグローバル人材です。そして私も私の同僚達も極めて普通の人達です。そんな環境でずっと働いてきたせいか、最近聞く「グローバル人材」という言葉がすごく胡散臭く思えちゃうんですよね。

まあそんな意地の悪いことを言うと「また暴言を吐く」と友人達に怒られそうなので(笑)私が思うグローバル人材に必要だと思っている資質を共有します。

それは「面の皮の厚さ」です。日本を出ると全然違う環境で生まれ育った人達がそれはそれは沢山いらっしゃいます。仕事でも締切を平気で守らなかったり、メールの返事をくれなかったり、ミーティングのリクエストを断ってきたり、日本の人が聞いたら卒倒しそうなことをやらかしてくれる人達がいっぱいいます。日常の生活でも言葉が通じなかったり、邪険に扱われたり、無視されたりすることもあります。

でもね、そこで「心が折れた〜」とか「差別された〜」とか言ってたらやっていけないんですよ。締切を守らない人にはしつこくフォローをし、メールの返事が来なかったら別の方法、例えばメールの代わりに電話をするとかし、ミーティングのリクエストを断る人には直接会いに行って理由を聞くとか、手を替え品を替えてアプローチしていかないと仕事が進まないのです。そして自分のことを邪険に扱ったり無視する人は、差別する人ではなくて単に性格が悪い人だと思って気にしない、いわゆるスルーする力が求められます。なのでグローバル人材に最も必要な資質は「面の皮の厚さ」だと思っています。

でもこれって海外だけじゃなくて、日本でも同じことが言えると思うんです。だから日本で通用する人はちゃんとグローバル人材として海外でも通用すると思うんですけどね。違うのかな?海外でも人間として求められる資質って同じですよ。誠実さや謙虚さなどは、程度の差はあっても尊ばれます。ただ表現の仕方が違うだけ。そういう意味では異文化を理解して、表現の仕方の違いなどを予め知っておくとストレスが少なくて済むのかもしれません。例えばハイコンテンツとハイコンテクストの違いとかね。

まあ、ちゃんと常識を持って、ある程度日本語以外でコミュニケーション取れてればグローバル人材だと思うので、グローバル人材を何かとても特別な才能を持った人みたいに言うのはどうかな〜って思うんですよ。そりゃ現地の言葉を話せることに越したことはないし、違う文化に敬意を払うことは大切だけど、そんなことは当たり前のことじゃないですか。わざわざグローバル、グローバルって騒ぐことではないと思うんだけど。

私の穿った見方としては、グローバル人材という言葉はセールスに使われる便利な言葉で、商売道具みたいなものだと思ってます。取り敢えずグローバル人材って謳っておけば、魔法のように何か素敵なことが起きる期待を持たせられて、うまくいけばビジネスにつながるから猫も杓子もグローバル人材って言ってるんでしょう。

と、今回は自称グローバル人材の私(笑)が「グローバル人材」について思うことを少し辛口で書かせていただきました。

いや、ほんとに、グローバル人材って何なのよ?超疑問です。

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