見出し画像

歴史・人物伝~信長飛躍編①「信長とはどんな人物か?」と聞いた武将

2020年8月の信長編「若き日の織田信長」の続きとなります。時は1559年頃、信長は一族との厳しい戦いに打ち勝ち、尾張一国をほぼ統一した時期にあたります。

太田牛一の「信長公記」によると、その頃「天沢(てんたく)」という尾張出身の高僧が、甲斐の国を訪れて武田信玄と面会したそうです。すると信玄は、信長の様子をありのまま話すよう求めたといいます。

天沢は、信長が毎朝馬の調練をし、鉄砲の練習、弓の稽古、兵法の学習を行い、鷹狩りにも熱心だと話します。さらに信玄が「趣味はあるのか」と尋ねると、天沢は「舞と小唄」だと答えました。

ここで、小説やドラマでお馴染みの一節が登場します。

人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり
※敦盛の舞

さらに、これまたお馴染みの小唄も紹介されます。

死のふは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりおこすよの
※死は必ず訪れる。死後、私を思い出してもらうよすがとして、何をしておこうか。きっとそれを頼りに思い出を語ってくれるだろう

天沢に対し、信玄は「真似をしてみよ」と言ったそうです。出家の身だからと一度は断りますが、是非にと言われたため、真似をしたといいます(笑)

鷹狩りに「戦上手」を見た信玄

信玄と天沢の面会の中で、注目しておきたいのが「鷹狩り」の話です。天沢は、信長の鷹狩りの仕方について詳しく説明しています。かなり用意周到に準備した鷹狩りをし、信長は「上手だ」と話しているのです。

鷹狩りのお供に太田牛一が入っているので、天沢の言葉を借りながら、太田が鷹狩りの様子を振り返って記したのではないかと思われます。いずれにしろ、その話を聞いた信玄は次のように語りました。

「信長の武者をしられ候事、道理にて候よ」
※信長殿は合戦上手ということだが、なるほど、そのとおりですな

戦国屈指の名将である武田信玄が、織田信長に注目し始めたことをうかがえるエピソードと言えるでしょう。さらに、多くの武将たちをアッと言わせる出来事が間もなく起こるのです。

次回19日から「桶狭間の合戦」について書きます。
※「歴史・人物伝」は毎週火曜、金曜の掲載予定といたします

★参考文献 「現代語訳 地図と読む信長公記」

noteでは連載コラム、エッセイをほぼ毎日書いています。フリーランスのライターとして活動中ですが、お仕事が・・・ご支援よろしくお願いいたします!