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ピアノ講師と不倫 第1話

俺は消防士をやっていて、高校卒業してからそのまま就職した。一方妻は高校時代からの彼女で、同じ体操部のマネージャーをしていたんだけど、短大に進学して、卒業を待ってから入籍した。夫婦仲は良好だったと思う。夜の生活もそれなりに頻繁だったし、ただ、子供はまだできなかった。作らないわけじゃないけど、不思議と出来ない。まあ、子供がいない生活に不服がある訳じゃないけど、妻は子供を欲しがっているし、俺の親も妻の親も孫を欲しがっている。もうしばらく頑張ってみて子供が出来ないようなら、不妊治療を開始しようと思っていた。

そんな矢先、俺の祖父が急死した。
朝、起きてこないので同居している姉が見に行ったところ、もう死んでしまっていたそうだ。その日は大変で、病院外での死亡確認なので警察が来て検死が行われ、一応司法解剖もすることになり、一緒に住んでいた姉夫婦も念のため事情聴取された。大騒ぎになる理由は明白で、祖父はかなりの資産家なのだ。住んでいる家も豪邸。五十代前半にガンで大きな手術をしたせいでリタイアし、子供がいなかったので孫にあたる姉夫婦に豪邸に住むことを許す代わりに身の回りの世話を任せたと言う訳だ。姉たちは遺産目当てで祖父を殺した可能性を疑われたわけだが、屋敷以外は現金もそこををつきかけていたこともあり、殺してまで奪いたい財産などもなく、遺体からも不審な所はなく、急性心不全の死因が確定され、祖父は自宅に戻ってきた。

元々性格がきつく、友人もいなかったので一晩自分の布団に寝かせてやり、翌日、火葬場で荼毘に付した。何年か前に抗がん剤治療も終わってはいたものの、さすがに骨はスカスカで、喉仏と頭蓋骨だけ箸で除け、骨の大半はごみのようにほうきで集められ、ちり取りで骨壺に流し込まれた。お骨を寝室に据えて、俺たち夫婦と姉夫婦は今後について話し合いをした。俺は土地屋敷やそこにあるものは姉、口座に残っている現金だけを俺たちがもらうのでどうか、と提案をした。姉は驚いてた。不動産の評価額は相当で、それに対する現金の額は半分以下。さすがに現金で姉たちは屋敷は住まずに処分して、そこから相続税に出し、マンションでも買うと言っていた。そして姉は俺の分の相続税の面倒は見てくれると言い、一応書面で遺産分割協議書を兄のダンナがパソコンで作り、家に帰って実印を捺して郵送することになった。

改めて屋敷を見て回った。偏屈な祖父は身内を一切寄せ付けなかったが、俺たち姉弟だけは小さい頃から可愛がってくれた。夏休みや春休みは、この屋敷に入り浸っていた。妻を連れて屋敷をぐるっと見て回る。何か思い出の品でもニ、三、もらっていこうと思ったからだ。物置に入ると骨董品やらなにやら壊したらやばそうなものがごろごろあったけど、アップライトのピアノが目に入った。妻がえらく興味を示し、処分しちゃうならもらえないかな? と言った。姉たちは快諾してくれた。俺は祖父が最後まで枕元に置いて愛用していた腕時計をもらった。ブランド物とかではなく、職人にオーダーメイドで職人に作らせたものだ。祖父はよく自慢していた。
「これは長野の時計職人に作ってもらったんだ。そんじょそこらの時計なんて目じゃないぞ。車一台買えるだけの金がかかった。でも、売ったところでいくらにもならん。ブランド物でも何でもないからだ。でも、ブランドのマークとかに価値があるんじゃなくて、本当の品質に価値があるんだ。この時計は俺よりずっと長生きなはずだから、俺が死んだらお前にくれてやる」
祖父はそう言うとからからとよく笑っていた。時計とピアノを形見分けでもらいたいと姉に言うと快諾してくれた。そこからは祖父の思い出話に花が咲いた。資産家の祖父の周りには金やコネクションを目当てに色んな大人が集まっていたが、祖父はそんな連中にうんざりしていた。祖父に下心なく近寄ってきたんのは俺たち姉弟だけだった。そんな俺たちを祖父は実の子供のように扱った。可愛がってくれたが、厳しくも接してくれた。晩年、俺は消防士になって忙しくほとんど顔を出せずにいた。そのことを本当に悔やんだ。

数か月後、祖父の遺産のお金の半分を頭金にして、郊外の中古住宅を買った。理由はもちろん祖父のピアノを迎い入れるためだ。祖父が亡くなったことで、自分の中でも一つ踏ん切りがつき、本格的に不妊治療を開始することにした。一戸建ては、子供を作ることの決意表明でもあった。周りは田んぼ、家の後ろは公園と、少々大きな音を出しても苦情は来ないし、子育てにも環境は最高。いい物件を探し出せた。

リビングに、子供の頃触っていたピアノが鎮座しているのはなんだか不思議な気持ちだ。妻は面白そうにピアノを触って音を出していた。そんな姿をほほえましく見ていたが、このピアノが俺たち夫婦の関係を壊していくきっかけになるとは思ってもみなかった。

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