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ルームメイトの女の子

19歳、カナダのバンクーバーに
春から秋までの数ヶ月間、留学していた。
人生で初めて親友と呼べる女の子と出逢って、
今でも彼女との毎日をよく思い出す。

彼女はヨン(仮名)といって、色白で黒髪、服はいつも白か黒にデニムを合わせて、たまに黒ぶちメガネ、真っ赤なリップティントだけは必ず毎日つけていた。韓国人の女の子だった。

ヨンはルームメイトだった。

日本では考えられないようなスーパーでかい一軒家に、たくさん部屋があって、その部屋を数人ずつシェアするのが、私が過ごしたスチューデントハウス(語学学校の生徒のためのシェアハウス)だった。

キッチンもお風呂も洗面所も各フロアにそれぞれあって、もしかしたら退去するまで一度も行ったことのない部屋もあったかも。それくらい広い一軒家に、各国から来た生徒たちが入れ替わり立ち替わりで住んでいた。

私の部屋は3階(ほぼ屋根裏)で、ベッドが4つ、洗面所、シャワールーム、そしてでっかいバスタブが洗面所のど真ん中にあったけど、これは使うための配置ではなさそうだった。

その部屋にはそれぞれのベッドの隣に小さなシェルフがひとつあって、それ以外の家具はなし、仕切りもなんにもなし。プライベートのプの字もない空間に、女の子が4人で生活していた。

バンクーバーに到着して、エージェントの車で空港から30分ほど走ったバーナビーというところにスチューデントハウスはあった。
スチューデントハウスに到着して、自分の部屋(というかベッド)のそばで荷解きをしていたとき、隣だからよろしくね、と声をかけてくれたのがヨンだった。隣も隣、数十センチしか離れてないところにヨンのベッドはあって、この距離感での共同生活がこれから数ヶ月続くわけだ。

ヨンもさっき到着したらしい。入学日も同じだった。英語で誰かとコミュニケーションをとるのがほぼ初めてだったけれど、お互い同じような英語レベルだったのと、会ったその日から、なんとなく、どんなことを言いたいのかお互い予想がついた。

ヨンとは学校でも同じクラスになったし、登校も下校も一緒にすることが多かった。共通の友達と何人かでバスに乗って遠くの湖を眺めに行ったり、多国籍料理屋を食べに行ったり、夜だけオープンしてるチーズケーキ屋さんに行って大人な気分になったり、留学生がこぞって集まるナイトクラブに行って、なんか好きじゃないねってなって、入り口まで来て結局入らずに帰ってきたこともあった。カナダデーには花火を見に行ったり、ヨンおすすめの韓国料理屋さんで初めてジャージャー麺を食べておいしすぎて感動したりもした。

ヨンは優しくて、面倒見が良くて、はっきりしていて、だけど照れ屋さんで、毎晩必ず韓国にいるお母さんと電話していた。写真に映るのが嫌いで、華麗なるギャツビーのディカプリオが好きだって言ってた。

"英語を勉強しにきたのに、こんなに仲が良いと英語を使わなくても伝わっちゃって困るね" なんて話したこともあった。

ヨンのお母さんお手製のキムチを韓国から送ってくれて、少し食べさせてもらったとき、日本のキムチより酸っぱくて辛くなかった。

ヨンがいつも冷蔵庫(冷蔵庫は共有なので名前を書いておくかスペースを分けておく)に常備しているハニーマスタードのドレッシングが美味しそうで、"どこで売ってる?" って聞いたら"私のものはmiyuのもの、全部勝手に使っていいよ!"。
帰国後もずっとリピートしてるTHE BODY SHOPのモリンガの香りのクリームは、ヨンが貸してくれたボディーソープの香りだったから。

日本にはないヴィクトリアズシークレットを覗きに行ったとき、あんまりにも煌びやかで高級で圧倒された。留学生には買えないね、なんて言って何も買わずに出たのに、私が帰国する日に、お手紙とヴィクトリアズシークレットのスリップのセットアップをプレゼントしてくれた。

こんなこともあった。

夜ご飯を食べ終わって私がダイニングでホームワークをしていたとき、ヨンもやってきて一緒にホームワークを進めた。
すぐそばにあった扇風機について、何か話そうと思ったんだけど、私もヨンも、扇風機(fan)が英語で出てこなくて、私が日本語でボソッと "扇風機…って…(英語で)なんだっけな…"とつぶやいた。

そしたらヨンが "せんぷんぎ!?"って。
韓国語で扇風機は선풍기(seonpung-gi)。

発音がそっくりだった。
そして2人でびっくり、大笑い。
いつも英語で話してるのに、お互いの母国語で通じてるのが不思議過ぎて、何度も発音を確認したけど、やっぱり通じる。

そのままふたりでそれぞれ韓国語と日本語の発音が似ている単語や文章をググっては、披露し合って通じるかどうかゲームをした。ホームワークを忘れて1時間くらいそれで遊んでいた。


私が日本に帰国する前の晩、荷造りも終えて、なんとなく寂しくなってふたりでダイニングテーブルに座って話した。
ヨンはいつもミニッツメイドの小さい紙パックのオレンジジュースを飲んでいて、いつも必ず私にくれたから、私もミニッツメイドの小さい紙パックのぶどうジュース、あとで飲もうと残してた最後のひとつと交換した。ふたりでそれをちびちび飲みながら、お別れについていろいろ話した。

初めて会った日のこと、シェアハウスでのこと、学校でのこと、共通の友人とのおでかけの思い出、クラスメイトの噂話、自分の国のこと、カナダという国のこと、まだ知らない世界のこと。お別れのことを考えるとき、 "泣いちゃいそうだよ!" と言いながらいつも私たちは泣かなかった。

私の帰国当日、ヨンは学校をスキップして、シェアハウスから空港までずっと一緒にきてくれた。 "月末だからスキップしちゃだめだよ" と説得したけど "月末だろうがテストだろうが絶対に一緒に行く!"と聞かなかった。

空港までの電車やバスでは、なんだかふたりともナーバスで、あまり話をしなかった。
空港に着いて、出国手続きを終えて、最後のティムホートンのベーグルをふたりで食べた。
ふたりで大泣きした。

ゲートの前でえんえん泣きながら、挨拶でハグする文化は日本でも韓国でもポピュラーじゃないと思うけど、ハグをして別れた。ヨンの泣いた顔を見るのは初めてだった。きれいだった。

日本に着いてから、ありがたいことに撮影も映画祭もオーディションも、ぎゅうぎゅうに詰まっていた。それから忙しい毎日を過ごすなかで、ヨンとはインスタのDMでやりとりしていたけど、半年、一年、と過ぎていくうちに連絡をとらなくなって、気付いたときには最後のメッセージに既読がつかなくなっていた。

もう使ってないであろうヨンのインスタのアカウントに、昨日の夜、4年ぶりにメッセージを送ってみた。

そのあとヨンはカナダの大学に入ったと誰かから聞いたけど、もう英語もペラペラでお友達がたくさんできて、もしかしたら韓国に住んでないかもしれない。もしかしたらお母さんになってるかもしれない。話したいこと、いっぱいあるな。
また会いたいよ。

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