HSPラベリンクは成功として、私がはじめた行動でこう変わった

こんなんやってみた。そこで自分のペルソナを発見した。今日はそんな話。

質問内容には、ふたつ回答が別れるものがあった。
1)HSPの気質だろうな。逆らわずに従おう。
2)これはHSPの気質からだな、あえて、そうしないようにしよう。
そう、私が私のままでは不便だなと思って改善していること、私は私だから仕方ないなと受け入れていること。

オール(1)に従ったのがこれ↓


本来のわたし

「妄想に生きるやさしい浪費家」
「妄想に生きるやさしい」=私のHSP感が出ている。
「浪費家」=HSS型の傾向がここに出ている。

自分の行動が「自分の範疇」で完結する時、HSPを優先している。
だけど、それが相手がいる場合は、相手を優先している。

例えば、回答が別れたのが、
友達が怒っているかも?と思った時の私の行動
A|迷わず、友達に聞く
B|一度自分で考える
断然デフォルト(1)の私は「B」だけど、今までの経験上行きすぎる妄想が功を奏さなかったので、「A」を心がけている。「B」に関してはもう条件反射のようものなので、「B」から「A」まで行動しているが正しそうだ。

相手を慰める時どうする?
A|気分良くしようとする。
B|気分を害さないにする。
断然デフォルト(1)の私は「A」だけど、これも余裕があれば適材適所仕分けている。が、基本、情報の足りない時は「A」なのだが、別に相手に好かれたいとか目的がなければ、「B」で十分と私は「B」を結局的に採用したい派だ。

が、事実や事象に関しては相手よりもロジカルを優先しているのがNEWな私。たとえば、

悲しみを友達と共有する
A|共有しても悲しみは減らない
B|共有すると半減する
断然デフォルト(1)の私は「B」!HSP前回なんだけど、最近の私は「A」派。悲しみの共有って聞こえはいいけど、愚痴になりやすいし、そうなると相手への負担にもなりやすい。それなら、解決策を探す方が効率的!だから、今は悲しみは悲しみと総量では考えないようにしている。

てな訳で、どうも私が生まれた環境時代は、私が「妄想に生きるやさしい浪費家」でいることは生きづらかったので、生きやすいに調整したら(もちろん、それもできることできないこと、気質だから考えたからできるってもんではない大変さはいまだにあるけど)こうなった↓

意識した行動の末の私

「他人に無関心な自由人」。笑。なんか印象悪い。
が、HSPの私には「他人に無関心な」くらいが本当にちょうどよかった。
「自由人」に関しては、「自分の範疇」に関して自由人なので私的には結構満足している。

結局なんだけど、HSPの気質が自動的に寝る前には考え事しちゃうし、相手の違和感、不機嫌には、ほぼ自動的に「なんで」って思いがめぐっちゃうから、「2次障害」になってたものを「2次復旧」させてみた。そんな感じ。

でも、田舎暮らしで「他人に無関心な自由人」をフル発揮してエンジョイしていると不安が出たんだよね。それは、判断材料にロジカルが入る時、私って冷血商人?みたいな。思い返せば、自分を「冷血商人」?と自分に疑問が持てるところで正常値。それを自分で気付けない明日裵ちゃんたちに私は困っていたのだから。笑。

私がHSPであるために、変えたいところ、変えなくていいところ、は感覚的人日々の自分をうぇってするほどみてみつけた。それでも足りなくて「第三の軸|事実、状況」を客観視する練習(それをロジカルシンキングと呼んでる)をして「2次障害」を「2次復旧」まで昇華させたと言えそう。

が、基本のHSPちゃんがたまに「冷血商人!我関せず!人との繋がり希薄!」と叫ぶもんだから不安になったんだよね。

今の私には小さな警鐘だけど、大丈夫。これから人間関係が新しいペルソナの私でできていけば安心するものだと思う。

最近自分を通して、発見が面白い。前より時間がかかるし、私がこうゆうものという決めつけから、私ってこうだったんだという自分の発見が私も外界との関係も変えてくれる。優しく私も接せられるようにちょっとなってきてる。というか、自分というフィルターからしか世界を見ることはできないのに、そもそも自分のフィルター自体が歪んだままなら、そりゃ、発達障害と一緒ではないだろうか。そうゆう点でみると私たちはどこまでも似ている。大か小か。大事か、子事か。それくらいという出発点は有効そうだ。

HSPというラベリングをしたことから始まった自己理解noteもゆっくり深く歩みができてる。気がしてるのが嬉しい。

HSPの記事にいいねいただけたら、ますますHSP研究したいと思います。まだ新しい分野なので。正直生きるのに本業で精一杯なので、みなさまのサポートがあれば追求大いにがんばります。