HSPの田舎暮らし|田舎でメンタル調整と恋、なんか終わってる田舎

HSPと知って5年目。本当に一筋縄ではいかないと思った。

相変わらず、無理をしてしまうし、嫌なことは思い出しやすい。そして、それは、毎度毎年定期的に度合いが違うにしろやってくる。人といる以上なくならない。

ただ、ACからの兼ね合いの体調不良をメンタルも含めこの田舎暮らし一年でかなり整えられた。

食|ビタミン、ミネラル、B12、いい油を率先して取る。最近はコーヒーを減らしている。自立神経が乱れやすい。

睡眠|寝れない日もなくなった。短睡眠になっているけど、昼寝をすればいいし、寝たい時にねればいい。寝る前にココナッツオイルでうがいしたり、ヨガをするようにしてる。寝具も最強にしている。

服|自分に合うものを買っては捨て買っては捨てを繰り返している。衝動的にどうしても欲しくなる習慣(依存)のようなものを前よりも買い物が減っていてもあるなという自覚があることが嬉しい。

田舎でもネットがあるので、動画で学び放題である。それも最初はなにに手をつけていいかわからなかった。だけど、メンタルや健康を取り戻すと人との距離も自分との距離も整い始めて、自分の関心にもおのずと開かれるのを感じた。

なんとなく、普通の人の生活と言えそうだ。

HSS型HSPとしての気付き。

私は家の中でリラックスがしにくい。部屋ではふとんの中にいるのがマストだ。何かをする環境がパソコンしかなれていない。これは不健康だ。いまのところ、できるだけ外出をしている。これが一番のストレス発散になっている。だから、行くところがない時、非常に焦燥感に襲われる。これはHSS型HSPの気質だなと自覚した。ちょっと遠くがいいのも時としてちょっと厄介だ。なにかしているか、寝ているかその二択という習性はこれからどう活かすかが課題である

また、通りに通っていない、正しくないにも、昔ほどではないがやはりこだわりというか気になる、言わずにはいられない、も、ちょっと厄介だなと思う。これは、沈黙が嫌で無駄に話しかけてしまう時にも似ている。もっと自分の無言を愛せる人になりたい

とは言え、ストレスの激減した行動として
・ひとり反省会が減った!
・ひとになにか言いたくなる時は言いたいことの半分がちょうどいいとわかっているけどできてないけど、ちょっとずつ進んでいるようだ。
・「ひとりが好き」と大肯定してみるとあえて誘われないことも気にならなくなった。ただ、暇なタイミングがそれと被るとちょっと胸が痛んでいたけど、今やソロ活のプロ!だったらあそこ行こ!という選択肢が私を支えている。逆に人を誘って100%満点のちょっとした距離が最高というのも気づいた。仲良くしすぎないでちょっと道中一緒にいるくらいの誘い、距離感、偶然性を味方にするとHSPは最強である。

恋愛について。戦略的に0日結婚を頑張っていた。お見合いを経験してプロポーズまでされ、断った経験からいけると思ったのだが、いけなかった。
HSPはやはり、ロジックより共感や感情から動く生き物だと改めて痛感した。今や結婚しないかもしれない人を彼氏にしたくない。それも本音。
と最近年上じゃなきゃだめなんです!という男の子に会った。ふとした流れだが、いちゃいちゃ同盟を結ぶことにした。下心で近寄られるより、年下の男の子から、年上のおねぇさんと手を繋いだり、カフェに行ったり、ちょっとイチャイチャした設定でデートしたいんです。と言われるとなぜが私は全く嫌な気がせず、乗ってしまった。不思議なものだ。
そう思ったのなら、そう思ったHSPの心の動きは信用できるのんで、乗ってみることにした。HSPが素直にいいと思うものに乗っかるのはとんでもなく「開運」くらい感じている今日この頃である。

なんかいいのは、形から入らず、中身から入っているからいいのかもしれないな。どんなに正論でも気分の悪いものはいっぱいある。それは、できる範囲が限られているし、相手ありきのものだから、いつも難しいけど、今までこうゆう感覚で生きていなかったかもしれない。それはACの兼ね合いがなにやら強そうだ。

さて、こと活動に関して
感動ポルノも嫌いだし、私たちやってるでしょ?という中身のないパフォーマンスも大っ嫌い。仕事ではそれを見せるのも仕事だと最近理解したけど、日常で、アートや補助金などでそんな活動しているものは心底反吐が出てしまうのもHSPの気質だと田舎に来て気づいた。

この田舎の文化活動は成長という方向軸からは、壊滅的に終わってる。私がこの田舎で救われているのは、東京からでは四、五万かかるアクティビティが格安で1時間圏内でできる環境ということだった。

だから、一年かかっても制作のインスピレーションがまったく伸びなかった理由がわかった。中身のない田舎に直面している。
東山魁夷や太宰治のように、もうすでに技術を身につけた人がこの田舎で題材探しにくるようなケースならいいが、そのアイディアも技術も都心に集まり、そこで高尚していく。田舎の人は、だたお偉いさんが自分の地を好きになってくれた観光宣伝材料ぐらいにしか思っていないことがよくわかった。
なんなら、その作品もご当地の小説もマジで読んでないw

田舎はただのプレイルームでしかない。この出発点を忘れてはいけないなと思った。次に復興のためか、都心で流行っているものを真似るのだが、今まで書いたように中身のない、また、情報がブラッシュアップされないなんとも中途半端な取り組みで、今が現風景までご当地人が破壊している現状が起きている。

採算のとれない、営業時間が短い、祝日の活用利用に協力的ではないし建築費、維持費は高い施設はほぼ都心の税金が回されている事実。
税金の無駄使いだなと思った(まして東京で働いていた自分のお金の投入という意識もあるとなお…)。
また観光課というのがあるが、これがひどい。今まで書いたように極度に公務員関係は、文化伝統に明るくないのに、youtuberのような活動を役所としてする人も出てきている。悪いとは言わないが、そうところに限って、通常の役所としての評判がすこぶる悪い。つまり、本末転倒。
ちゃんと業務を住民からみてできていると認められてからだと思うが、勘違いしている人も多い。が、アクティビティーに強い公務員の人材は光っている。
そんなところから見ても、文化圏は公務外の活動家支援に力を注ぎ、土地勘を活かしたアクティビティーに強い公務員はもっと活動的に掘り下げるで至極簡単な答えは出ていると思われる

つねづね、HSPの私も私がわからず、拗らせていたが、「田舎」も田舎の持つ特性があると思った。私たちはとこまでも似ている。なー

が、この田舎の悪びれ態度自体が発達障害気質で本当に気持ち悪い。

HSPの記事にいいねいただけたら、ますますHSP研究したいと思います。まだ新しい分野なので。正直生きるのに本業で精一杯なので、みなさまのサポートがあれば追求大いにがんばります。