見出し画像

仕事の不出来による人格否定

「根山さんまたネギ焼きの形崩れてるやん!!」

キッチンに怒号が響いた。

初めてのバイト。チェーン店の天板焼き屋には社員が3人いた。
27歳の店長に21歳の副店長。そして23歳の中途採用の根山さんだ。
根山さんは副店長よりも年上だが立場は平社員。ネギ焼きがうまく焼けないみたいでいつも副店長に怒られていた。

給料をもらっているのだから当然仕事ができないといけない。
むちゃくちゃできなかったとしてもある程度の最低ラインと呼べるところまではできていないとこうなる。


僕はこの初めてのバイトにより、仕事ができないと人格を否定されるということを知った。

仕事ができないといってもたまたまその作業が向いていなかっただけかもしれない。他のことをやらしたら驚くべき能力を発揮したかもしれない。もしかしたら教え方が悪かったのかもしれない。と一概に「仕事ができない」の定義も曖昧なのだが仕事ができないというレッテルを貼られると人間的に劣っているという見方をされる。
仮にどの業務を任して、できなかったとしてもそれは人格を否定するに値しないのだが、世の中の仕組みはそうなっている。


この鉄板焼き屋に関わらず、のちに工場で派遣の仕事もしたがそこでもやはりこの仕組みでまわっていた。
ミスが多い人や仕事ができない人は人格否定をされるに至る。これはもう抗えようのない事実だ。



能力によって人格を判別される。


今、振り返ってみてあることを思い出した。
それは僕が初めてのバイトをするずっと昔のことだ。

小学校1年生の時。
田舎である僕の学校は同級生が6人だった。
ある日、1時間使って好きなことをしていいという授業があって体育館に行ってキックベースをすることになった。
担任は女の先生で松田先生という人だった。松田先生は普段は優しいのだが怒ると怖い。特に人権やいじめに関わることにはちょっとした冗談でもひどく怒られた。

その日、キックベースをするにあたってチーム分けをすることになった。
先生を入れて4対3のチーム分け。僕らはジャンケンをして3対3に別れた。ジャンケンをしたものだからチームバランスが偏ってしまった。
松田先生は「先生はどっちのチームに入ったらいいんかな?」と僕らに尋ねた。
するとリーダー格であった元井くんが「先生はあっちの弱いチームに入って」と言った。

これがまずかった。先生はこの「弱いチーム」という言葉に反応して怒り始めた。すぐさまキックベースは中断。その日は結局教室へと戻り、一人ずつ反省文を書く羽目になった。

今思い返しても首を傾げたくなるのだが、この「弱いチーム」という発言はどうしてダメだったのだろうか。謎だ。
一人ひとり能力が違って当たり前である。体育が得意な人もいれば算数が得意な人もいる。学校の勉強が得意じゃなくても優しかったり、気配りができる人もいる。
仮に何をしても平均以下の力しか発揮できない人がいたとしても、ただ単に「今がその時じゃない」だけかもしれない。

先生は「弱いチーム」という事実に対して、それを能力が劣っているから人格を否定しているという解釈をしたにすぎない。
これは先生自身が能力がない人は人間的にも劣っていると感じていたからだ。
だから元井くんが「弱いチーム」、すなわち「能力が劣っている人」を指す言葉を使ったことに対して人格否定をしたと思ったことになる。


先生こそが能力の有無によって人格を否定したのだ。


でも社会とはそういうものだとも思う。
二人以上が集まればそこに社会が生まれ、能力の差が生じる。
自分を基準にして自分より下に対しては安心感を持つのだ。

だから僕は何かに打ち込むとき、心のどこかで「ああはなりたくない」と他者と比べて自分を守る節がある。
でもそれって不健康な努力だなとも思う。

僕自身も能力の有無によって上下を見ているのかもしれない。



最後に根山さんに謝らなければいけないことがある。
僕は自分の中で根山さんのことをこっそりネギ山さんと呼んでいたことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?