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エッセイストになってもうすぐ4年になる

先日noteで記事を投稿したら「400記事目の投稿おめでとう」とアナウンスされた。
僕はそんなに物事が続くタイプじゃないし、どちらかというと飽き性だ。にもかかわらず400以上を超える記事を書けたということはちょっとぐらい誇りに思ってもいいのでは?と思っている。

そこで気になって初めてnoteに投稿したのは何年前で何を書いたのだろうと気になって調べてみた。

どうやら2018年3月16日で、確か用事があって大阪に向かう途中の電車の中で書いたと記憶している。十三を超えて淀川を渡った光景をなんとなく覚えている。(最初は確か星空文庫というところで投稿していたが、途中からnoteに切り替えた。なのでこの記事は星空文庫からの移行記事だったと思う。)

2018年というと約4年前だ。つまり、これは僕がエッセイストになって4年の月日が経過するということを意味する。

とりあえず何かを発信したいと思い、noteという存在を知って何かを書いてみようと思った。ペンネームは何にしようか、と思案して自分の好きな音を探り、姓名判断で字面を調整しながら「君野ユウ」と名付けた。

君野ユウ4歳だ。

4歳なんてペンを持つのもおぼつかないし、まだまだ日本語も怪しいところだ。
はてさてどんな4歳になるか楽しみなところである。


実生活では僕はこの4年間の間に結婚をして息子が産まれた。
息子は2歳2ヶ月を迎え、春からは保育園に行くことになる。


こちらの成長がまたすこぶる楽しみだ。

少しずつ喋る言葉も増えてきて、できることも増えた。
最近では電気を消したりつけたりすることがマイブームらしく、僕は怒ることも度々ある。その時にあることに気づいた。


それはこれほどまでに人の名前を呼ぶことが僕の人生ではなかったということだ。

子どもの名前をつけて産まれてからその子の名前を呼ばない日はない。そしてコミュニケーションが盛んに取れるようになった今、僕は誉める時も叱る時も一緒に遊ぶ時も、思えばかなりの数の息子の名前を呼んでいることになる。

これは自分に子どもができるまで気づけなかったことだ。

そもそも名前なんてものは、呼ぶ必要がなければ名前を呼ばないことも多い。
友達になったばかりの子で、最初に呼ぶタイミングを失ってなんて呼べばいいかわからなくなったという経験がある人もいるだろう。

あだ名が浸透しすぎて本名が知らない友人も中にはいるかもしれない。


僕は人より名前というものにこだわりを持っている方だと思っていたが、ここまで名前を呼ぶことが多くなるとは思っていなかった。

多分息子が小学校に入るまでの数年間で僕は一生分の名前を呼ぶのだと思う。
成長するにつれて家族以外の人から名前を呼ばれることも増えるだろうし、ニックネームで呼ばれることも増えるだろう。名前だけじゃなく、遊びや勉強も家族より友人と過ごす時間が増える。それはとてもとても嬉しいことだけどやっぱりちょっと寂しいことかもしれない。

月並みだが可能な限りたくさんの時間を過ごしたいなとより思う。


4月になれば僕はまた一つ歳をとる。
この世に生まれて三十数年になる。

僕はといえば名前で呼ばれることよりも名字で呼ばれることが多く、最近では妻からも名前ではなくパパと呼ばれることも増えた。

まあそれも悪くないと思っている。

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