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誰しもが思う矛盾

なんだか庭の草がやたらと伸びてきた。
つい先日、草むしりをしたばかりなのになんとも憎たらしいやつだ。

そんなことをふと思ったのだが、ここで一つの矛盾が自分の中に起きていることに気づいた。その矛盾とは昨日書いたこのエッセイだ。

観葉植物の成長から生命のたくましさを感じて、挙げ句の果てには感謝までしているのにも関わらず、これが雑草なら真逆のことを思っている。この矛盾は人類みな思うであろう普遍的な心理だ。同じ植物でも観葉植物は育てるのに対し、これが雑草なら命を奪おうとしている。なんとも野蛮だ。

こんな風に考えるのは植物だけではない。昆虫でもカブトムシは捕まえるくせに自宅でゴキブリがでた日なんて大騒ぎだ。同じように足が6本の生き物だというのにだ。ここに嫌悪感を抱くかどうかの違いは家に侵入するかどうかであると思う。

自宅に侵入すれば害虫となり、外で生活するなら人間にとって良い虫だ。なんとも都合のいい話だ。でも確かに、カブトムシにしろクワガタにしろ、家の中に侵入するような生き物ならちょっと気持ち悪がっていると思う。どんなにツノがあってハサミがあってもそれは生命の象徴としての格好よさよりも気味の悪さのほうが勝つだろう。

人間に近い環境で生活する昆虫ほど避けられ、人間から遠い環境で生きるものほど人間から慕われているのだ。なんとも不思議な話だ。近づいたら遠ざけられ、遠くなれば近づきたくなる。まるで恋そのもだ。


そう考えると、ひょっとすれば人間はカブトムシや観葉植物に恋をしているのかもしれない。だから近くにおってほしいと思うのだ。

ならば逆に害虫と言われるあんな虫や、こんな虫は人間に恋をしているのかもしれない。本当のところはもっと仲良くなりたいと思っているのかもしれない。


仲良くしたいと思っているのに人間はそんなことは気にも留めず、生命を奪おうとしている。ならばここらで仲良く共生という手にはいかないだろうか。害虫も雑草も人間と仲良くできないだろうか。

そんなことをグダグダと考えていたのだが、その役目は皆さんに託したいと思う。
僕は雑草を引っこ抜いて害虫が自宅に入らないようにがっちりガードしたい。


お尻のオデキが再発した。
僕はどうやらオデキとも共生できそうにない。

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