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ビールを飲んで拍手がしたい

その昔、ビールを飲んだ後に拍手をする先輩がいた。

飲みに行った時、とりあえずのビールを注文する。
そして運ばれたそれをぐびぐびっと胃に流し込む。喉の音が聞こえそうなぐらい軽快に飲む。
そして、あーうまいっと言って2,3度手を叩く。


なんともおっさん的な行為だ。
僕はその先輩であるおっさんのおっさんによるおっさんを自覚した行為がなんとも好きじゃなかった。


しかし、昨晩風呂に入った時にふとこの行為を思い出したのだ。
そしてあろうことか僕もビールを飲んだ後に拍手をしたいと思うようになった。

これは進化なのか、老化なのかわからないが確実に僕もおっさんになったことを意味している。


先輩のあまり好きじゃなかった行為を受け入れた瞬間である。

疲れきった身体にビールを流し込む。これで何かリセットしたような気持ちになる。そこまではわかる。
しかし拍手の意味がよくわからない。
柏手(かしわで)を打つとは少し違う。ありがたいと細部に宿る神に感謝するのとも少し違う気がする。


ではこの拍手とはいったい何なのか。
その答えは感謝というよりは称賛に近いものではないか。

そして先輩が拍手する理由は、このビールの製造者に対してというよりはいつも頑張っている仲間に対しての労いの拍手なのではないか。


とはいえ、この先輩がビールを飲む時にいちいち仲間に対して労いの拍手を送っているわけではない。単なる癖であり、そこに意味などないはずだ。
しかし、自宅で一人でビールを飲む時に拍手をするかといったら答えはきっと否である。


ビールを飲んで拍手をするということは誰かと一緒だからできることだ。


そして、僕が昨日風呂に入りながらビールを飲んで拍手をしたいなと思ったのもそれだ。
誰かと一緒にビールを飲みたい、と。
それも自宅ではなく、外で飲みたい。


2020年5月現在、絶賛自粛中である。
飲食店は閉まり、当然外食なんてもってのほかである。


そして代わりになるものとしてオンラインでの飲み会が代替している。
オンラインでの飲みも楽しい。しかし、実際に目の前に人がいてライブ空間でビールを交わすということには勝てないものがある。

この先、ARによって遠く離れた人とも、さも隣にいるかのような技術ができるだろう。
これが日常化すればとても素晴らしい。テレポーテーションと同じだ。


そしてそのうちAR飲み会なんてものもできるだろう。
しかし、そうなったとしても僕は一口目のビールを飲んだ後に拍手はしないだろう。


生身の人間と同じ空間に座り、出てくる料理に舌鼓をしながら場を共有する。
その時に僕はその先輩と同様、おっさんのおっさんによるおっさんを自覚した拍手をしたい。



ただただそんなことを思うのである。
労いの拍手をするためには、今はただ目の前のことをがんばろうと思う。


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