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「ネガティブな要素は全体の一部」と「想像する未来」

家を買ったという話。

子どもができる前に家を決めておきたいという妻の意向があり、短いスパンの中で毎週のように物件選びをしていた。
新築マンションから中古マンション、モデルルームを見て結局は新築建売という物件に落ち着いた。絶対条件は駅近ということ。しかし注文住宅となると、とても手が出そうな金額ではなかった。
中古マンションをリノベーションするという案もあったのだが、やはり新築に対する憧れがあった。
そしてそれらの条件をなるべく満たしている物件に決めた。

ネガティブな要素は全体の一部

この物件を気に入ったのは妻だった。
そして、僕が最終的に決断をした。本当を言うと、この物件にたどり着くまでに妻は「ここがイイ」とか「あそこがイイ」とかいくつかの候補を挙げていたが僕は何かしらの理由をつけてそれを却下していた。最終的に選んだこの物件も僕自身全てに納得している状態ではなく、最後まで渋っていた。しかしどうしても「ここがイイ」という妻の熱意と早く押さえなければ他の人に取られてしまうという焦りから購入に至った。
「家なんて大したことない」とは思っていたものの、いざ買うとなるとゴネる自分がいた。
「家を買うときに100パーセントの要望を叶えようとしたらいくらあってもお金が足りない。妥協する箇所も大切だ」と不動産の営業担当は言っていた。
分かってはいたものの、なかなか納得がいかなかった。


しかし、妻がイイと思うものを買ったほうが家庭は丸く収まるという思いもあり、妻の意見を尊重した。
そして現在はあの家を買ってよかったと思い、早く住みたいという思いに僕も変わり始めた。きっとあのまま物件探しをしていても、僕は何かしらの理由を見つけては否定していたのだと思う。

物事をネガティブな目線で捉える傾向が僕にはある。
これは慎重という点では重要な要素ではあるけれど、一つのネガティブな要素に引っ張られて全体が悪いものとして考えるのはあまりイイことではない
人に対してもある一面を見て、この人は悪い人だと決めつけるのは良くないということと同じだ。ネガティブな要素を全体の一部として受け入れてから冷静に判断することが大切だ。

では「あの家を買ってよかった」「早く住みたい」と思うようになったのはネガティブを全体の一部として受け入れられたからかというとそういうわけではない。
もちろん時間とともに受け入れられたという点もあるが、それだけではない。

想像する未来

決定的な理由がそこにはあった。
それは新居に引っ越すときに新しく新調する家電や食器類を選んでからだった。新居の写真や間取りを見てここにあれを買おうとか、美味しいコーヒーを飲むためにオシャレな食器を買いに行ったりすることで早く引っ越したいと思うようになった。つまり、新しい家で生活する自分たちを想像することによって待ち遠しくなったのだ。あそこにテレビを置いて、目の前にはソファを置いて書斎にコーヒーを置いて窓辺に座る。そんな生活を想像すると早く引っ越したくなった

この経験、どこかでも似たことがあったなと思った。



それは結婚指輪を買った時のことだった。

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