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3月の風に思いを乗せて | 三分間日記

途中まで書いて、温めていた下書き。
せっかくなので投稿します。

新年早々今年はたくさん文章を書こうと思い立って、日記を書く習慣を付けようとしたけれど結局続かず。

前回の日記以降の出来事を羅列すると、職場の人たちと念願の温泉旅行に行ったり、尊敬する先生の最終講義を聞きに札幌に行ったり、前回noteに書いたバンドの解散ライブを見に大阪に行ったり、山形に行ったり、福島に行ったり、東京に行ったり、島根に行ったり…他にもたくさん、プライベートも仕事もひたすら駆け抜けるように過ごしていた2ヶ月間。楽しいことだらけのスター状態みたいな日々もようやく落ち着いたと思えば年度末になっていて、今は引越しの準備に追われている。引っ越しの作業も少し飽きたから、久しぶりにnoteを書くことにしてみた。

3月は別れの季節。今の仕事をしていると嫌でも思い知らされる。子供たちとの別れと、職場の先生との別れ。思い入れのある人たちがいなくなっていく。いつかくるものだと思っていたけれど、やっぱり寂しい気持ちもある。ずっと続いていたものが、当たり前にあったものが、なくなってしまう。そういうのはどうしても苦手だな。4月から生活や環境が少し変わる。そのことへの不安ももちろんある。

どこか感傷的な気持ちになっているのは、この歌のせいかも。

この3月、何度も聞いた。卒業式で、離任式で、そして送別会で。学生時代に何度も聞いたレミオロメンの歌。また一周回って再開する日がくるなんて。
今聴くとまた違った響きがある。歌は、そのときのシチュエーションだったり、一緒にいる人たちだったり、温度だったり、湿度だったりで、届き方が変わってくる。

瞳を閉じればあなたが
まぶたの裏にいることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私もそうでありたい

この歌は友人の結婚式のために作られた歌で、もともと卒業ソングじゃない。そんなことは百も承知だけれど、3年間見てきた彼らが卒業式で涙ながらに歌っている姿を見ているうちに、ついつい歌詞をエゴな気持ちで捉えてたくなってしまった。けど、まあ、あの日くらいはいいよね。紛れもなくあの瞬間には、3月9日は卒業ソングだった。

そういえば自分の中学校の卒業式でも3月9日が流れてたっけ。思い出は連鎖していくものなのかもしれないね。

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